息子たちの未来が憂鬱になった。石井光太さんの『誰が国語力を殺すのか』を読んで。
子どもが生まれてから、ぼんやりとした恐怖のようなものがあって、それは、「この子は、人を殺したり、人を傷つけたりする犯罪者になったりしないだろうか」というものなのです。
6ヶ月に満たない息子を抱いて寝かしつけをし、寝たと思ってベッドに置いたら目をぱっちりと開け出して……なんてことを繰り返していく中で、常に頭の片隅になる恐怖なんです。
いや、そんなのまともに育てれば、大丈夫だろう。
と思うかもしれませんが、『まとも』って何よ。どうやるのよ。と思ってしまうんです。だって、どんな親だって、子どもがが犯罪を犯すように育っててはないはずなのに、その中にはさまざまな犯罪があって、犯罪を犯す人がいるわけですから。
たしか作家の川上未映子さんも、『きみは赤ちゃん』のなかで、同じようなことを書いてらっしゃいました。そこ、すごく共感するわけです。
で、そんな中、石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』な訳です。本書は、石井さんかさまざまな少年犯罪などを追ってきた中で、蓄積されてきた危機意識から端を発しています。
社会のブラックボックスというのは、いままで石井さんが取材をされてきたネットカフェ難民やホームレス、最底辺風俗嬢の方々がいる場所で、その方達に共通しているのが、いろいろな事情によって、想像し、考え、表現するための言葉を奪われいるという点だそうです。
犯罪を犯してしまう、うまく社会の中で生きていくことができないことの原因の一端が、言葉の力だとすると、息子や息子と同世代の子どもたちは、大丈夫なのだろうか、と思えてくるのです。まだ、「ふヘぇ〜」とか「グゥぅぅ」とか「まうまうまうまう」とか言えない、我が子を見ながら……
しかも!
言葉の力というのは、学校の国語の中で培われるはずのものなのに、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を読んでいると、学校も機能不全に陥っているようにも思えてきます。
本書に出てくる小学校長のコメントです。
ぼくも、キッズシナリオという形で、小学校や中学校への出前授業をしています。キッズシナリオ自体は、2010年くらいから始めた活動ですが、その時の問題意識も、実は同じようなところになります。
シナリオの場合は、さまざまな登場人物の立場になって考え、セリフやト書を書きます。シナリオを書くことを通して、想像力、表現力を磨けるのではないかと思い、キッズシナリオを始めました。
現在まで、のべ6000人くらいの小中学生にキッズシナリオを実施してきましたが、確かに、年々、子どもたちのシナリオから面白味のようなものが、少なくなっているように感じていました。
その原因として、こちらのカリキュラムが安定したことによって、皮肉にも、子どもたちの発想をうまく引き出せなくなったのかな、と思っていました。ですが、それ以外にも、原因があるのかもしれません。それは、子どもたちを取り巻く環境と、国語力なのかもしれません。
だからこそ、石井さん『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を読んで、憂鬱になってしまいました。そして、読み進めながら、だったらシナリオに何ができるのか、を改めて問い直してみようとも思いました。息子も含め、子どもたちのためにも。
本書の中でも、国語力再生の取り組みが書かれており、そこに、家庭でも、教育の現場でも、自分たちの手でできるヒントが示されています。
演劇的なアプローチについても書いてありました。演劇的なアプローチは、イギリスでもそうですが、一定の効果を発揮すると考えられます。
次回は、この点についても、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』をもとに、整理していけたらと思っています。