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『葬送のフリーレン』にて東京物語を想う。
『葬送のフリーレン』原作でいうと1巻第6話、新年祭のラストシーン。アニメでいうと第4話、魂の眠る地の前半部分。フリーレンが早起きしてフェルンと一緒に日の出を見るシーン。
日の出それ自体の感想としてフリーレンは「確かに綺麗だけど早起きしてまで見るものじゃないな…」「ヒンメルは私のことわかってないな…」と思うし言います。
だけどその日の出を隣で見るフェルンの横顔を見て、フリーレンは微笑ましく思います。日の出それ自体の美しさに勝るほど、「誰かと一緒に日の出を見るという行為」が楽しいものだと知るのです。
かつてヒンメルは、一緒に日の出を見ることで、その楽しさを味わわせてあげようと企んでいました。ヒンメルのそうした想いに、フリーレンはここでようやっと気付くことができたのです。
誰かと見る日の出
フリーレンは隣のフェルンにこう言います。「私一人じゃこの日の出は見れなかったな」
これはつまり、一緒に見る人が隣にいてくれてこそ、という意味でそう言います。
フェルンはその真意に気付かず、早起きが苦手な自分を叩き起こしてくれる誰かがいないと一緒に見れないものだったと言っているのだと勘違いして、「当たり前です。フリーレン様は一人じゃ起きられませんからね」と言います。
隣のフェルンをきっかけにして、尚且つ、そのフェルンには悟られないまま、ヒンメルとフリーレンの想いが通じ合った瞬間です。あまりにも見事なオチに震えが止まりませんでした。
ここで、かの有名な『東京物語』を思い出しました。末っ子の敬三が同僚とする会話「さればとて、墓に布団は着せられず」
この台詞は作中2度出てきますが、同僚との会話においては、
・軽い冗談で言っている
・母が本当に死んでしまうとは思ってない。実感がない
このような状況での台詞です。
2度目は実際に母が亡くなってからの
「今死なれたらかなわんわ」に続いての「さればとて、墓に布団は着せられずや…」
2度目はもう冗談ではなく本気で敬三の心の奥深くから出てきた言葉です。
同じ台詞でこうも違う意味を視聴者の胸にそっと問いかける。
このように『葬送のフリーレン』は、しっかりと読む者・観る者の心に問いかけている作品です。日の出を見ながらフリーレンが例えばフェルンに、「ヒンメルはね、こうして誰かと一緒に夕日を見る時間が貴重なんだって教えてくれようとしたのかも知れないね」なんて言った日には全てが台無しです。
横道に反れますが、世の中にはこのような台無しをしたがる上層部がたくさんいるようです。よい作品というのは作り手と受け手の信頼関係が作り上げるものに他なりません。