『葬送のフリーレン最終回』を観て家政婦のミタを想う。
「家政婦のミタ」は視聴率40%を超えた2011年の日テレのドラマです。最終回が確か21:00くらいからで、その前の枠19:00-ぐらいに最終回直前スペシャルみたいなものが放送されて、主人公のミタの過去を描写していたように記憶しているのですが、そのスペシャルドラマが本当に嫌でした。
フェルンに特権の授与の同行に誘われたときのフリーレンや、フェルンに洗濯の魔法を強請られた際のゼーリエと同じ表情だったのではないかというくらい嫌でした。
ミタは社会現象になったほどのドラマでしたが、主人公が不愛想で主人公らしくない。演じたのは言わずもがな松嶋菜々子ですが、旦那の反町が演じていたような鬼塚的なカリスマ性やヒーロー性は皆無なんです。そこがとてもいいんですが、そのスペシャル版では、ミタがどうしてそんな不愛想でロボットみたいなキャラクターになってしまったのかと解説みたいなシナリオを見せられてうんざりしたことをよく覚えています。
ミタはこんなキャラだけど、本当はいい人なんだよ!
と、テレビ局が視聴者に言い訳してるみたいで本当に嫌だった。そういうのは観る者が勝手に想像すればいいのだから、裏設定みたいなのをゴールデンで流すのはいかがなものかと。
よい作品を台無しにするというのは罪なんです。それよりもっと日テレで心の底から嫌だったのは、金曜ロードショーで「仄暗い水の底から」を放送していたときのこと。ネタバレは避けますが、この映画のクライマックス、一番いいところでパシッとCMを入れたこと。ほんとに、あのシーンを分断するというセンスの無さに心から辟易したものです。
なので日テレはあんまり好きじゃなかったのですが、そんな金曜ロードショー枠でこんな名作アニメを放送開始するなんてと、かなり見直したわけなのです。
「葬送のフリーレン」アニメは1話から全部観て、原作も読みました。アニメの28話が最終回ということになりましたが、原作とは違うアニメならではの演出も多く、照らし合わせて鑑賞するのも楽しみ方のひとつでした。
魔導書をいっぱい抱えたフリーレンが、りんごだかみかんだかを落としたおばあさんと遭遇する場面。結果的にはアニメも原作も、フリーレンは見て見ぬふり(というか先にヴィアベルが拾う)するわけですが、魔導書を抱えていて手がふさがっているという演出はアニメだけのもので、原作ではどこかに腰を下ろして魔導書を読んでいるフリーレンがチラッとおばあさんを見やる、というものでした。
観る者としては、「座って魔導書を読んでいるフリーレンが手を差し伸べない」のと、「魔導書を腕いっぱいに抱えたフリーレンが手を差し伸べられない」では全然違った印象です。
アニメでは、おばあさんが果物を転がしたあと、フリーレンの目線は抱えた魔導書に行きます。つまり、「これ持ってるしなぁ」の意図です。原作にはない演出、座って魔導書を読んでいるだけならすぐに魔法を発動できる環境下にある(落ちて転がった果物をカゴに戻す魔法を知っているかは別として)
これって、
フリーレンは冷たい性格なんじゃなくて、そのときはたまたま手がふさがっていて助けられなかったんだよ!
っていう言い訳じゃないだろうか。
いや、きっとそうじゃないんだろうけど、原作・アニメ、どちらも好きだという勢にとってはそういった色々な楽しみ方ができていいよね、という話。
結論も特にないし、もうこの辺でこの記事はサッと終わりますね。あんまり終わった感出したら、また次何かを読んでもらうときに恥ずかしいからね。