
個人的に「エモい」と思った音楽レビュー 〜Shibayan Records編〜
「エモい」
この言葉を聞いて、あなたはどういったものを思い浮かべるだろうか? きっと返ってくる答えは様々であろうが、それは各人の心を感動させる、既存の言葉では形容しにくい何かである。「エモい」という言葉には特に決まった用法は存在しない。
とは言え、「エモい」という言葉が頻繁に使われる文脈は確かに存在している。その代表的なものは音楽であろう。
音楽には様々なジャンルが存在するが、その境界は概して曖昧であり、言語化や体系化とは非常に相性が悪い。筆者は " EDM " や " House " という集合にカテゴライズされる音楽をよく聴いているが、どちらがどちらの部分集合であるとか、そのへんの境界が未だによく分からないが、これを聴きながら車で夜のアクアラインや湾岸線を走ると最高に「エモい」ということはよく分かる。
EDMすなわちエレクトロ・ダンス・ミュージックと言うと、高揚感⤴︎⤴︎なドロップやソリッドでビビットな音色といった特徴のサウンド(House)を何となく思い浮かべる人が多いと思われる。この系統の東方アレンジでよく知られているサークルにはZYTOKINEなどが挙げられる(次回予定)。
今回は、数あるEDM系東方アレンジの中でも一際異彩なオーラを放ち、爽やかブライトなサウンドと独特の世界観でリスナーを魅了するサークル、Shibayan Recordsを取り上げる。
概要
Webサイトを見る限り、Shibayan氏は少なくとも2005年頃(筆者は未だ母の腹の中)から活動をしており、またボカロPでもあるらしい。
Shibayan Recordsの作品はElectro系と TOHO BOSSA NOVA シリーズに分けることができるが、近年のShibayan Records名義での活動は主に後者が中心である。他のサークルへ楽曲提供やミキシング・マスタリングを担当したり、Sprite Wing というグループのメンバーとして活動したりもしている。
Shibayan氏がどのような音楽を作っているのかよく分かる「Broad Border」というアルバムがフルバージョンで公開されている。これはShibayan氏が他サークルに提供した楽曲(収録元のCDは今では入手困難なものが多いらしい)を中心に構成されており、恐らくShibayan Recordsでは唯一の完全フルボーカルアルバムであり、最も新しいElectroのアルバムでもある。
ちなみに先日10月17日は彼の40歳の誕生日であった(改めておめでとうございます!)。
Shibayan Recordsの存在を初めて知ったのは、まだ東方にわかだった頃まで遡る。
ある日YouTubeの東方アレンジメドレー(100曲)を聴いていた。いろいろな曲があるんだなぁと思っていたら、その中に9分20秒もある曲を見つけてしまった。Fall in the Dark という名前の曲だった。単純な興味で聴いてみたところ、文字通り闇に引き込まれてしまった。あの体験は本当に忘れられない。
マジコカタストロフィ
この曲が収録されているアルバム「マジコカタストロフィ」は、筆者が2年前に人生で初めて行った例大祭での最初の買い物であり、人生で最初に買ったCDでもあった。8曲で1時間越えと聞くと驚かれるかもしれないが、Shibayanワールドではこれくらいは当たり前である(その後に他サークルのアルバムを聴くと少々感覚が麻痺するおそれあり)。
以下で紹介する2曲はShibayan RecordsのYouTubeチャンネルでも公開されているほか、ほぼ全ての曲がアマプラ等各サブスクで配信されているので是非聴いてみてほしい。
雲がくれにし夜半の月かな
原曲 : 妖魔夜行
アルバム最初の曲とあって入りが素敵だ。先述した夜景のそれにも近くなるのだが、例えるなら秋葉原あたりから総武線各駅停車を千葉方面に乗っていて、車窓が繁華街や住宅街に変化するような感じである。妖魔夜行のサビ(?)にあたる部分ではスカイツリーが見えている。後半は一見単調になっているようで、微分可能な変化をしている。
Fall in the Dark
原曲 : ほおずきみたいな紅い魂
アルバムごと聴くと前曲から連続で繋がっているという見事な仕掛けがなされている。例えるなら千葉駅で内房線に乗り換えて帰路についた感じである。進行方向右側遠くには工業地帯の光と炎が煌めき、左側に目をやると月明かりが田んぼの水面を照らしている。闇夜に溶け入るようなyana氏美しい歌声もさることながら、間奏の部分で雰囲気が一変して最初のフレーズに戻るところが個人的に好きだったりする。
「エモい」音楽に対する実験的研究
個人的に「エモい」と思った音楽を見つけると、必死に耳コピしたり楽譜を探してきたりしてGarageBandに打ち込んで弄って実験をすることがある。一種のリバースエンジニアリングだ。
これを先述のFall in the Darkで行ったとき真っ先に思い知った事実は、「曲に対して適切な音色が選ばれている」ということである。
旋律自体はそこまで複雑でなく、音色の種類もそこまで多くない(ような気がするだけかもしれない)ので、荒削りな近似ならやろうと思えばできる。音色の完全な再現は言うまでもなく非常に難しい(Logic Proの下位互換のGarageBandでさえ1つの音色にサスティーンやらリバーブやらその他エフェクトが盛りだくさん!)が、色々弄っていると多くの発見がある。
音の魔法使い
そしてShibayan氏の音楽で個人的に最も素晴らしいと思っている点が、「どの曲もVocalの存在感が丁度良い」ということである。まるでそういう音色の楽器であるかのように感じるくらい歌声が綺麗に溶け込んでいるのだ。ボーカルさんの歌声の美しさにShibayan氏のマスタリングという繊細な魔法が作用して完成されているのである。
最近Vtuberの歌ってみた動画に「加工のせいでそう聞こえるだけ」と心無いコメントを見たことがあるが、その時に改めて気付かされたのは「ボーカルと作詞作曲だけでなく、ミキシングやマスタリングもれっきとした音楽作品の一部」だという、現代では当たり前のことではあるがなかなか注目されにくい事実である。他のサークルの東方アレンジにも、彼がマスタリングを手がけた作品が多くあるという事実を知ると、驚きと同時に強い尊敬の念さえ覚える。
そんなShibayan氏の過去のツイートを遡っていくと、素人には理解が難しい裏話(と美味しい食べ物の画像)が沢山見つかってくる。東方我楽多叢誌に「世界一気持ちいい波形」と言わしめたあの魅力的な音楽を形作っているバックエンドには、音の魔法使いによって想像もつかないほど緻密で繊細な世界が形作られているに違いない。