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「パリは夢の中に出てくるのがとても似合う気がする」って、夢で終わらせている場合じゃないですが
以下のようなマガジンを展開し、フランス文学やフランス史に関する記事を何度かあげている昨今、昔パリへ旅行に行った思い出なども蘇っては来るのですが、
コロナ問題が続いていると、なんだか「自分もパリに行ったことがある」という過去が、信じられなくなってきます。
「パリなんかまたいつか来るから」と思って、特に自分用にはお土産も買わなかったので、なおさら。
クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』という映画を観ていたとき。主人公たちがパリのカフェでくつろいでいると、現実だと思っていたパリの風景が突然、オモチャみたいにグニャリと曲がって、「あ、ここは夢の中なんだ!」と気づくシーンがありますが、
今の私にはまさにパリというのはCG加工の似合う「想像上の街」のように遠く感じられます。今もちゃんとこの地球に存在しているはずだし、そこで生活している人たちは、あちらはあちらでコロナ対策真っ盛りで、「夢の街」どころじゃない大変さだとは、わかってはいるのですが。
外国の街というのは、何かがあって行けなくなるとわかった瞬間、こういうふうに純粋な憧憬の対象にあっけなく戻ってしまうのですね。ということは、きっと東京が好きなフランス人は、あちらはあちらで「東京は面白かったな、まるで夢の世界だったなあ」と、私の住むこの町のことを夢に見てくれているのかなあ、などとも想像します。
・・・って、まだ私も老人ではないのだから、「夢だ」「夢だ」で済ませちゃいけないか。
夜の夢の中でパリの面影を見ながら、またパリと東京で人が自由に往来できるその日を、希望を捨てずに待つ。そしてこういうとき、パリが描かれている小説や映画をたっぷり吸い込むのは精神に良い。そしてそのような「また再訪したい」の情熱の火が灯ることを考えると、若いうちにできるだけ多く旅をして、自分の憧れの場所を複数、地球上に作っておくこと、これもとても大切なことと、あらためて。