中南米音楽誌『ラティーナ』の創設者が音楽専門家ではなくサラリーマンだったという点に強烈に共感!
音楽情報誌「ラティーナ」さんは、私も情報源としてたいへんお世話になっている雑誌。
残念なことに月刊誌は今年2020年に休刊となってしまいましたが、
実は、 noteの中で活動を再開してくれていたりします。 noteをやっていてよかった、、、!↓
本日、たまたまなのですが、『タンゴと日本人』という新書を読んでいたところ、この『ラティーナ』さんの前身、『中南米音楽』が創刊された時のエピソードが第三章で紹介されていて、これが興味深かった。
雑誌「中南米音楽」の創設者は、加年松城二(後年、城至と改名した)という人物である。彼は評論家でもなく出版社の社員でもなく、製紙会社に勤務するサラリーマンだった。熱烈なタンゴ愛好家であり、タンゴの知識の豊富さと愛着の深さではだれにも負けていなかった。(中略)雑誌「中南米音楽」は、当時の多くの音楽専門誌がそうであったように、同人誌のような性格を持つ雑誌としてスタートを切った(『タンゴと日本人』生明俊雄/集英社新書より引用)
これが昭和27年の話。
こういう話を聞くと、「インターネットのおかげで、本業が忙しいサラリーマンの人でも、自分の趣味の情報を発信できるようになった」などという話を聞いても、
「いや、昭和の頃から、本当に好きなことがある人はサラリーマンやりながらでも紙媒体を出してがんばってたんだ、ツールはたいして関係ない」と思い返してしまう。
インターネットで趣味の発信をするのと紙媒体を発刊するのとでは気迫が段違いですけどね、、、
もともとはタンゴ専門誌としてスタートした雑誌「中南米音楽」が、タンゴ以外のラテンアメリカ音楽ジャンルにも広く展開しつつ、『ラティーナ』と名前を変えて70年近く続いてきたわけで、その重みを感じると noteで展開しているLatinaさんのチャンネルももっともっと応援したくなってしまう。
というわけで、頼まれたわけでもありませんが、いまいちど、宣伝!↓↓
それにしても、もともとはタンゴは単独で専門誌が張れるほど日本で大人気のジャンルだったのですね。【だんご三兄弟】のヒットで終わってる場合じゃない、日本でのタンゴ普及もいまいちど、熱く復活してほしい、、!ともあれアルゼンチン本国でもピアソラ没後はスーパースターが現れず、厳しいのかなあ、、。