私が25年前にイスラエルのパレスチナ自治区をバックパック旅行した頃のこと
まあ現代政治には触れないで話しましょう。
ただひとつ、いま、2023年11月初旬の段階で言えることは、
かつてバックパッカー時代に、イスラエルを、パレスチナ自治区を含めて訪問したことのある私としては、とてもじゃないが最近のニュースは、見てられない、中途半端に思い出があるせいで、とても精神がもたない、ということ。
現代のことを考えるととても精神がもたない、とは悲しい話だが、せめて昔話をさせていただきましょう。
で、私が若い頃に、ヒッチハイクでずんずんパレスチナ自治区にも入って行ったことに、今さら「そんなことできたんですか?」と驚かれることがありますが、
まあ、ハッキリ言うと、
私の世代すなわち氷河期時代の学生のバックパッカーなんてのは、自分の命をそんなに大事にしてなかったからかなw
↑ま、これは、半分冗談、しかしちょっと本当、ということもありつつの、もうひとつは、
1990年代のイスラエルというのは、当時も厳しい状況ながらも、雰囲気は「和平に向かっている」ムードが、イスラエル側とパレスチナ側、双方にあった、、、まあこれは訪ねてみた時の個人の感想ですがね、今から見るとすごくガードは緩かった
そうね、
これこそ今の若い人は知らない時代だろうけど、
ラビン首相とアラファト議長の和平交渉というのをやっていてですね。背景を説明すると、ラビンというのはイスラエル軍の将軍で対アラブ戦争の指揮をとっていた人で、アラファトは対イスラエルの武装闘争を指導してた人ですね。はっきり言って、互いの武闘派のリーダーどうしが「やっぱり和平しようぜ」とテーブルについたというだけでオドロキだったし、「こりゃ、イスラエルもパレスチナも、変わったんだな!きっと、和平、進むぞ!」と当時の若者(私とか)は楽観視してたんですよ。
まあ、楽観視してなきゃ、私もノコノコとこの辺りの地域に入らないけど。でも検問とかも、当時はゆるっゆるでしたよ。
その後、なぜうまくいかなくなったのかは、私には何も語れない。ぜひ、複数の専門家の本などを読んで勉強してもらえれば嬉しい。
私は、「25年前は、そんな楽観ムードがあったはずだよ、誰が何と言おうと、俺、覚えてるんだもん」という、昔話だけ、書いておく。