性格を変えること、ペルソナの装飾を変えること
「性格を変える」、ということについて考えていた。
先日、そんな話題が周囲で出たからと、そういうことなのだけれど。
性格は変えられるのか。
変えられる、変えられない。結論は人によって様々だ。
とりあえず私は「変えられる」派の人間、とここでは告げておこう。
私は「変えられる」と言うけれど、でも私の言う「変えられる」は人によっては「変わった」ことにはならないかもしれない。
何せ私の「性格を変える」とは、そんな大それたことではないからだ。
怒りっぽい人が翌日から嘘のように穏やかになるような、そんな劇的な話ではない。
ただ小さな物事の積み重ねの結果、そうなる、あるいはそう見えるようになるというだけの話だ。
「性格を変える」というと何だか壮大な話に聞こえるが、私にとってこれは「選択を変える」「対処を変える」「振る舞いを変える」、そう言った微々たる変化の積み重ねである。
例えば自分にきつい物言いをしてしまう癖があったとして、そこを治したいと思うのなら「柔らかい物言いを学ぶ」「どういう時にきつい物言いをしてしまうのか原因を考えて対処する」「きつい言い方をしてしまうのはもう治しようがないと判断して、できるだけ大人しく人前では黙っている」などの選択肢がある。
人に対して意地悪なことを思ってしまう、そんな自分が嫌だと思うなら「どうすれば意地悪なことを思わないようになるか受け止め方を変えてみる」「意地悪なことを思ってしまう原因は何なのか、そこを突き止めてみる」「意地悪を思ってしまうのは仕方ないのでとりあえず口に出さないようにする」といった具合だろうか。
人によってはもっと他にもいろいろな選択肢もあるかもしれない。
どちらの例も極端な話ではあるけれど、要は「自分の感じ方や考え方を変えようと思って出来ないのなら仕方がない。対外的な振る舞いを一つ一つ改善する」というだけの話である。
だけというには自己分析をしたり、試行錯誤をしたり、手間や苦労は多いし、時間もとてもかかるけれど。
私にとって人と接することは舞台に立つことである。
私は「私」という役柄を演じるため、対外的な舞台衣装を纏って舞台に立つ。
心理学用語では、この対外的な衣装を仮面としてペルソナと呼ぶ。
私のやり方は要するに、「自分の考え方や価値観、感性を変えようと思って駄目なら開き直ってしまえ。駄目ならばペルソナの装飾を変えよう」というものである。
なので、人によっては「自分の考え方や価値観、感性が変わっていなければ何も意味がない」と言うかもしれない。
しかし人間、メイクをしたらテンションが上がって強気になれる人がいるように、習い事や仕事の内容から日頃の所作や立ち振る舞いを気遣うようになったりするように、行動や外見が内面に変化をもたらすことも、なくはない。
ペルソナだって、もとはと言えば自分の内面から作り出されたものであるわけなのだし。
まあ、ここまでつらつらと書いたけれども、別に人間、無理に自分を変える必要があるとは思っていない。
自分の現状を考え、利益と不利益を天秤にかけて、その上で好きに自由に選べばいい。
なりたい自分があって、それを理想として自分と戦うのも選択だろう。
自分はこういう性格で変えられない、変えるつもりがないと思うならそれも選択だ。
試行錯誤して、努力した果てに更に試行錯誤を続けるのも、ここが結論と決めるのも選択である。
ただしまあ、選択である以上は、それもまた自分自身の性格を形作る要素にはなるけれど。
ちなみに最後に私的なことをちらっと書くのなら。
私は「自分の欠点も嫌な所も、治したいなら結果はともかく努力すればいい。開き直るなら、それがもたらす負の側面も受け止める覚悟がいる」と思っている。
つまり、「私は性格悪いけど、これが私だから治すつもりはないの!でも人に嫌われるのは凄く嫌だし、悲しいの!えーん!」と、努力も一切合切投げ捨てる選択をしておきながら、それがもたらす負の側面を投げ出す人間は嫌いである。
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