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表層の先にある貢献を突き詰める。

 今見えている景色は氷山の一角であるという話をしたい。

 昔、私の上司だった人が、出張先の山口県でローカル電車に揺られながら私にこんなことを言ったことがある。
「世の中のあらゆる事に何故と問い続けなさい」
 言われた当時は、それまでの上司に対するヘイトが募っていた所為もあって、「また何か面倒な事言いだしたぞ......」と思ったのだが、不思議な事に今となってはこれが私の中で重要なファクターになっている。
 ちなみに上司のその言葉の後に続いたのは「あそこを走っている物流会社のトラックが、何故この時間帯に多く走っているのか考えたことがあるか」だったが、その時の私は寝不足の脳内と早く帰りたい欲求に支配されていたので「なんででしょうね」となんともやる気がない部下を演出してしまったものだと思う。

 外の景色で行われている事に少しでも気を配れば、そこには誰かの意図が潜んでいて、伝えたいメッセージがあり、叶えたい願いが隠されている。
 例えば郵便ポストが元々木造や黒色だったのに赤色になったのは、夜になっても見つけてもらいやすくする為だったり、ティーカップにお皿がセットなのは、昔はカップに直接茶葉を入れていたからお皿をお茶の器として飲んでいた所為である。これらに共通していることは、利用する人のことを考えているということだ。

 誰かの為になりたい。助けたい。貢献したいと思うなら、自分が起こす行動の一つひとつに「何故」と問いかけてみる。その時に自分の心の中にある深層心理のようなものが表層に浮かび上がってくる。自己満足なのかもしれない。他者から認められたいだけかもしれない。寂しさを紛らわしたいだけかもしれない。そんないろんな感情が渦巻くだろう。そういう思考を経ないで生み出されたアウトプットというものは、自ずとと薄っぺらく感じるし、すぐに飽きられてしまう。

 仕事こそ最たるものだろう。私は、対価をいただいて人様の役に立つことこそ仕事の本質だと思っている。突き詰めて研ぎ澄ました価値を提供し、受け入れてもらえたという証明として得られる「ありがとう」という言葉こそ、忘れ難い対価になるのだ。その嬉しさの度合いは真摯に真剣に突き詰めた時間と労力に比例する。中途半端が一番良くないし、その結果失敗しようものなら最悪だ。成功しても失敗しても、後で振り返った時に後悔したくないなら尚更だ。

 相手に素直に受け入れてもらいたいからこそ、相手のことを深く想い、考えて行動する。私はこれこそ、何事にも当てはまる鉄則のようなものだと考えている。 

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