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ラノベイラスト騒動に思うこと

 Twitterで騒動になっている「ラノベイラストがエロい」という主張について書かれたいろいろな意見を読んでモヤモヤしていることを書き記しておこうと思う。

 なお、今回のnoteはテラケイ氏(@terrakei07)の白饅頭日誌:9月14日「『キモい』ということばの圧倒的な強さ」を参考にしている。機会があれば読んで欲しい。

発端

きょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景。自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる気持ち悪さは想像できるし、それを子供の眼前に公然と並べる抑圧はほとんど暴力だよなと改めて思う。

 発端となった問題のツイートである。正直、「娘がラノベの表紙を「気持ち悪い」と言った」のは「性的消費の道具として扱われる気持ち悪さ」であるというご自身の感想を根拠にして、「子供の眼前に公然と並べる抑圧はほとんど暴力」という主張へつなげていくのは、あまりに一方的なうえに飛躍が過ぎると思う。

「子供が気持ち悪いといった」
―――だから何?
「性的消費の道具として扱われる気持ち悪さは想像できる」
―――あなたの感想ですよね?

という話でしかないのだが……

踏みつけられているのは誰か

ぶっちゃけ俺はエロ大好きオタク男性なので件の表紙は全く気持ち悪く感じないが、それを社会にゾーニング無しでおっ広げることによって他人を踏みつけ、被害者が文句を表明することすら許さない傲慢なキモオタ男性の皆様が、ブヒブヒ興奮して件のツイの改変大喜利に励んでる姿は気持ち悪過ぎて泣きそう

 「ゾーニング無しでおっ広げることによって他人を踏みつけ、被害者が文句を表明することすら許さない傲慢なキモオタ男性の皆様」というが、本当の被害者は一方的に「気持ち悪い」「性的消費の道具にしている」「ほとんど暴力」と言われたラノベ作者やイラストレーター、ラノベファンといった関係者ではないのか。なぜ「気持ち悪い」と悪口を言われた側が加害者にされているのだろうか。このことをテラケイ氏のnoteでは次のように述べている。

「キモい」ということば――私も生まれてから現在まで散々に投げかけられてきたものだが、これほど万能なことばもなかなかないように思う。というのも、これは紛れもなく最大級の罵倒・軽蔑・差別・排除を混然一体にした悪意以外のなにものでもないにもかかわらず、そのことばを吐いた者の責任を不問にし、それどころかその責めを「キモい」といわれた側に着せることができるという、まさに何でも貫く矛と何でも防ぐ盾が合体したようなことばだからだ。

 「キモい(気持ち悪い)」とは悪口であるにも関わらず、被害と加害を逆転させてしまうという指摘である。発端となったツイートは「私を気持ち悪くさせたあなたが悪い」という申し立てであり、これに多くの賛同が集まることに歪で差別的な構造があるように思う。

果たしてゾーニングの問題なのか?

 今回の騒動はゾーニングの問題であるという主張がある。

 非常に長いnoteだし騒動になったイラストが「ポルノ」であることが自明のように語られているのはどうかと思うが、全体としてはきちんとゾーニングしないと法律で規制されるようになるよ、という主張だ。一見もっともで穏当な意見であるように見えるが、これにも疑問がある。そもそも、現状のゾーニングは不適切なのだろうか?

 発端となったツイートの写真は書店のラノベ売り場に平積みにされたところであると推測できる。おそらくこの書店は興味のある人や購入目的を持っている人を対象に、ラノベだけの売り場を設けているのだろう。女性誌や一般文芸、子供向けの絵本と混ぜて売られていないのであれば、ゾーニングは十分できているように見える。

 以下も気になる点だ。

「ライトノベル 表紙 エロ」で検索したら、たくさん出てきます。

というわけで、「たまたま、数少ないエロい表紙にあたってしまった人の意見」ではなく、ラノベ全般にある問題だと言えるのでしょう。

 「エロ」で検索すればエロく見えるイラストがたくさん出るのは当たり前で(エロく見えた人がアップしてるわけだから)、ゾーニング以前の問題だと思うのだが。実際に発端になったツイートの写真の作品のほとんどは肌の露出も少なく、男性がメインになっている表紙もある。

 「子供が立ち入ることができる場所だから問題だ」ということなら、書店全体がそうであってラノベの表紙だけを取り上げるのはアンフェアであるように思う。たとえば青年向け雑誌の表紙にはグラビアがあるし、女性誌にはほぼヌードの写真が使われていたりする場合もあるからだ。また一般文芸やコミックの表紙なども官能的である、と指摘されてもおかしくない。そうなれば子供のほうをゾーニングしてしまうほうがいいのではないかという気がしないでもない。

子供への影響について

 次も汐街コナ氏の主張についてである。「4.子供にエロコンテンツを見せることの何が悪いのか?」と、エロが及ぼす子供への影響を気にしているという点だ。要点はエロコンテンツがあることで子供の成育に問題がでるぞ、という主張だ。

影響といっても、子供がそのまんま漫画の真似をするといったことだけが問題なのではなく、例えば件の「巨乳少女がおっぱいを差し出しているイラスト」にしても、性に興味を持ち始めた少年の中には、ああいったエロコンテンツを自慢げに女子に見せるような輩もいるのです。(いました…)
見せられた女子は、当然不快ですし傷つきます。

しかし、男子にしてみれば、「全年齢本として、普通に本屋に売られているもの」です。それを人に見せることの何が悪いのか?という話になります。
大人がそれを「悪いこと」に位置づけていないのに、子供には「悪いことだと認識しろ」って無茶な話です。(そう考えたら、「見せられて子供が傷つく」本は、やはり全年齢本にはなり得ないでしょう)

 これは極端な例で「エロコンテンツを自慢げに女子に見せるような輩」が「人に見せることの何が悪いのか?」といえば「嫌がる人に無理矢理見せてはいけない」と注意するのが大人の役目では。「大人がそれを「悪いこと」に位置づけていない」というのも分からない。大人同士でも最悪罰せられる行為である。もちろん大人が嫌がっている子供に過度に性的なコンテンツを見せても罰せられる。また、嫌がっているのに「エロコンテンツを自慢げに女子に見せるような輩」は嫌がらせるのが目的なのではないか。エロコンテンツを排除しても別のコンテンツで同様の事態は起きると思われる。

 「「見せられて子供が傷つく」本は、やはり全年齢本にはなり得ないでしょう」とあるが、それはラノベイラストに限ったことではない。たとえば殺人のような犯罪描写や、格闘技やヤンキーもののような暴力描写、ホラーなどグロテスクな描写のあるもの、戦争を描いたものなども「見せられて子供が傷つく」可能性があるが全年齢で販売されている(名探偵コナンとか)。そういったものではなく、なぜエロコンテンツ(に見えるもの)だけが俎上に載るのだろう。

 また、以下の見方も一方的である。

今回の件で、「このくらいで何を言っているんだ」「見るほうが我慢しろ」という持論を述べている人も、おそらくはそうやって「セクハラを許されてきた男性」もしくは「幼い頃からセクハラを我慢させられて感覚がおかしくなった女性」ではないかと思います。

 ラノベのイラストが好きな女性だったり、性的ではなく「かわいい」「美しい」と感じている人もいると思うが、なぜ「私にはエロく見える」という主張だけが特別重きを置かれるのだろうか

今回は幸い子供さんは「気持ち悪い」という正常な反応を見せましたが、もし子供のうちから「こういうの最高!大好き!」となってしまった場合、もっとマズイと思います。 

 なぜ「気持ち悪い」と思うのが正常で「最高!大好き」がマズいのだろう。大人にはエロく見えるものが子供にはかわいらしかったり、かっこよくみえたり映る場合もある。当然その逆もあるわけで、子供がどう思うのが正しいのか、ということを勝手に決め付けていいのだろうか。

はっきり言いますけれど、「子供達をそういう大人にしてはならないから、ゾーニングが必要」なんです。

 汐街コナ氏は子供時代の体験が人間を作るすべてであるかのように考えているようだが、実際にはもっとさまざまな条件がある。性的興味というのは大人になってからも変化するし、エロコンテンツを好んでいる人が必ずしも性犯罪者になるわけではない。もし、子供のあるべき成長を考えるなら、エロコンテンツを排除していくのではなく、教育によって性の知識をつけさせるというのが順当なのではないだろうか。

 汐街コナ氏のような「規制ではなくゾーニング」というのは一見穏当にみえるが、ゾーニングする根拠が不明瞭であるし、根拠が不明瞭であればゾーニングのラインを定めることはできない。結局、自主規制を強めるか、官憲による規制を是とするだけとなるだろう。

なぜオタクコンテンツだけが「気持ち悪い」のか

 ラノベに子供が「気持ち悪い」といえば「性的消費が描かれている」ことが自明であるかのように語られ一方的に非難されるとき私が思い出すのは、村田ポコ氏のイラストが修正を余儀なくされた件である。

今回の看板のデザインは、公募により選出されたもので、6月末日まで設置される予定ということ。しかし、近隣住民からの苦情により、イラストの内容を変更せざるを得なくなったということ。

広告主は「看板は公序良俗に反するものではない」としながら、新宿区役所と交渉を行ったものの、聞き入れられず、プロジェクトの継続を優先した結果となった。

修正後のイラストでも「下着が見えている」という理由から受理されず、村田ポコさん本人ではなく、代理店の側でイラストの加筆がさらに行われたとのこと。

 イラストが変更された苦情の内容は明らかにされていないが、乳首や下着が指定されたことはイラストのセクシャルな部分を不快に感じた人がいたことが問題となったと推測できる。ポルノでもない広告イラストが苦情により変更させられたということに、村田ポコ氏はブログで以下のように述べている。

今回の修正の件は昨今の日本をとりまく表現規制の波や過剰な自粛の一端であり
また明白なゲイに対する偏見や差別を含んでいるものと考えられます。
(下着広告などこれよりセンシャルな表現の看板などいくらでもあるはずです)

 この件に関してさまざま人から意見が出ているが、「気持ち悪い」と感じた人の申し立てであるからと変更に同意するだろうか。また、同性愛であっても子供が「気持ち悪い」と言えば問題にしないだろうか。

 もうひとつマタニティヌードについても書いておく。ブリトニー・スピアーズのマタニティヌードを写した広告が、東京メトロの意向で修正されたというものだ(のちに修正は撤回された)。

米国の人気歌手ブリトニー・スピアーズさんのヌード写真の入った雑誌の広告が2006年8月28日から東京メトロ・表参道駅構内全面に掲載される。東京メトロ側は「刺激が強い」として修正を求め、ヌード写真の下腹部に黒塗りをして掲載することがいったん決まった。しかし、「妊娠している姿がわいせつなのか」などの批判を受けて一転、当初の「ヌード」で掲載することになった。

 掲載雑誌の副編集長は「母になる喜びを表す写真のおなかを問題視するなんて…。わいせつとの区別がつかないのは残念」と話すが、なぜこれがエロコンテンツにならないと言い切れるのか。汐街コナ氏の言を借りれば、

しかし、子供にはそれが理解できないこともあると思います。

 と、指摘されてもおかしくはない。10年以上前の話だが、明日同じ問題が持ち上がったときマタニティヌード広告を指して「それはエロコンテンツになりえない」と言い切れるだろうか。

 マタニティヌードは美しいものとして見るべきでエロくない、というのは発信者の主観や希望に過ぎない。もし発信者や創作者の「こう見て欲しい」という主張が十全とされるなら、ラノベイラストも「美しい、かわいいと見るべきで、エロコンテンツとの区別がつかないのは残念」といわれればどうだろう。

おわりに

 面と向かって「気持ち悪い」と言われて「あなたを気持ち悪くさせてごめんなさい」と思う人はほとんどいないだろう。しかし、今回発端となったツイートでは言われた方が悪いという逆転現象が起きている。オタクコンテンツは性的である、ということが自明であるかのように語られ、オタクは女性を性的に消費しているに違いないという前提で話が進められることには違和感がある。ゾーニングの議論もそうで、まるでポルノのように扱うことが当然であるかのようになされている。

 世の中には男女の裸体を描いたコンテンツが無数にあり、その見方は人それぞれに委ねられている。しかし、そのなかでなぜオタクコンテンツは「気持ち悪く」「性的に消費している」ことが自明で「ほとんど暴力」とされて当然となるのだろうか。そこに自明としている人たちの差別意識はないといえるだろうか。

 最後に、もし自分の気に入らないコンテンツに出会って傷ついてしまったときに思い出して欲しい言葉で締めたいと思う。

「あなたにそうなることを求めているわけではない」

おまけ


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