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【雑記】祭りが終わって

 新元号が公表されてから1ヵ月。ついに平成は終わり令和になった。

 歴史的な譲位や改元に関係する報道は連日続いているが、10連休の終わりを前にお祭り騒ぎはすでに薄れ、ひとりまたひとりと日常へ戻り令和の生活が始まろうとしている。

 終わった祭りを振り返れば、きっと楽しかったことだけを思い出すようになるだろう。だが、そうなる前に改元になかで考えたことを記録しておく。

時間を支配するということ

 元号とは何か。ある専門家は元号とは「天皇が時間を支配するということ」だと言っていた。どういうことか分からなかったが、今回の改元でいろいろ実感するところがあった。

 平成から令和になったことで何か変わっただろうか?多くの人の日常は何も変わっていないはずだ。昨日の次の日が来ただけだ。にもかかわらず、これからについて思いを巡らせる人は少なくなかっただろう。

 まるで年が明けるような浮ついた感覚。今日までとは違う明日が始まるような感覚。歴史というひとつの流れに線が引かれたような感覚。そういった人々の意識へと作用するのが改元で、それがまさに「時間を支配する」ということなのだろう。

お祭りを求める人たち

 生前退位への舵が切られたとき改元を巡って多くの議論が行われたが、Twitterでは元号について否定的な意見が多かったように記憶している。改元が元日ではなく5月1日になったときなどは非難囂々だった。

 だが、実際に新元号が発表され改元が行われると、世の中はまるで新年のようなお祭り騒ぎになった。日付が変わるまで起きていた人、夜中へ町へ繰り出し祝杯を挙げた人、改元の前後に何をするか考えを巡らせる人……いったいTwitterで元号に反対していた人などいたのかと思うほど多くの人が改元を肯定的に捉えていた

 当初は不安視されていた年の半ばでの改元は、ふたを開けてみれば大成功で、人々は政府からプレゼントされた追加の正月を好意的に受け取ったように思う。こういった先例ができた以上、何十年か後には新天皇の生前退位が再び行われることは十分にありうるだろう。

 前々から感じていたことだが、日本人の性質とは「お祭り好き」なのではないか。ハロウィンという日本にまったく馴染まなそうなイベントが定着して久しい。企業が頑張って広めようとしていたという側面はあるが、それにしても来歴も周知されていない祭日を受け入れてしまうのは、日本人は「お祭り好き」の民族で、「おおやけに騒いでもいい日」が1日でも増えることを望んでいるからではないか。毎月イベントがあって酒が飲めてうれしいという歌詞の「日本全国酒飲み音頭」は実は日本人の本質をついているような気がする。

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