【雑記】ねほぱほ「喪女」とか「平成ジャンプ」とか
NHkで放送された「ねほりんぱほりん」の「喪女」回がヤバかった。
彼女たちの語彙はおそらく喪女の界隈で使われているものなんだろうなぁ、と想像がつくが、それにしてもヤバかった。何がヤバいって、喪女がネットで大騒ぎするタイプのフェミニストになる条件が揃ってるところがヤバい。
同年代の女の子が色気づくことを「メス化」と呼んだり、婚活で出会う男性が気に入らないことを「爆死」と称したり、恋愛のかわりに勉強に打ち込んでいた人、けっこう思い当たる人がいるのではないか。
ねほぱほに出ていた喪女の方は今は幸せそうだったけど、そうなるまでのモテへの憧憬と蔑視で自我が引き裂かれていることの苦しみみたいなの感じ取ってしまった。
男性、特にオタクなんかはモテないことに関してずいぶん前から苦しんできたという印象があるが(『電波男』とかあったしね)、「喪女」を見るに女性もモテないことでけっこう傷ついている人いるんだな、やっぱり。
最近は恋愛や結婚って多様化で括られるような人生の選択オプションではなくて、尊厳にかかわる重要な要素なのではないかという気がしている。正直、リベラルやフェミニストを標榜する人ですら意識のどこかで「モテる(パートナーを得る)」ということに特別な価値をつけて捨てきれずにいるように思う。
リベラルやフェミニストのなかにはこの手のパートナーを得られないことに対する悩みは自己責任で切って捨ててしまうところがある印象だけど、そういうところで非モテとか喪女とか追い詰められるのかもしれない。
「平成ジャンプ」という言葉は知らなかったが、シングルであることを自虐的に笑いに変える感じで使うのだろうか。
「平成ジャンプ」であったり「非モテ」や「喪女」とか、シングルでいることを多くの人が自ら選んだ結果の多様化であれば茶化してもいいんだろうけど、求めても得られずに苦しんでいる人がたくさんいるということになれば、軽々しく言ってはいけないことになるかも。
まぁ、気にせず使っていくけどね。非モテだし。