#2 ガツンと効く霊的体験?
2024.11.16
今日のBBスタディでは、BB p.83, 8行目からp.85, 1行目までを学びました。
「私たち不可知論者は」から「どうやればうまくいくのか」への流れを続けて学ぶのは非常に刺激的でした。
いつも進行をしてくださるpeeさんには心から感謝しています。ありがとうございます。
さて、今回の学びから感じたことをまとめていきます。断片的で雑多な思考ですが、どうかお付き合いください。
で、結局お前はどっちなんだ?
「ビッグブック」を学んでいると、しばしば「お前はどっちなんだ?」と問いかけられている気がします。
例えば、ステップ1では「お前は正真正銘のアディクトか」と。さらに、「大酒飲みか、それともほどほどの酒飲みか」という選択肢まで提示されます。
そして、その答えを選ぶのは自分自身です。
また、「生きるか死ぬか」、「神を信じるか信じないか」といった究極の二択も迫られます。ビッグブックは常にそのような問いを投げかけてきます。
今日もまた、「このシンプルなプログラムに完全に自分を委ねるのか、それとも委ねないのか?」と迫られました。(p.84, 2~3行目)
・・・僕はどちらを選ぶのだろう。
氷点下10℃の夜の街を、朝が来るまで徘徊していた日のことを思い出していた。
僕は完全に狂っていました。
「神様!なんでもします!」
あの時の切実な気持ちを、今日は不意に思い出しました。
フィッツはスタート地点に立った
p.81, 11行目から登場するのは「南部の友(Vol.4)」で知られるフィッツ・Mの話です。
彼は結局、「突然の霊的体験」をしました。
ビル・Wのケースと似ていますが、思わずこう突っ込みたくなります。
「いやいや、棚卸し書いてないじゃん!」と。
しかし、見方を変えれば、フィッツもビルもステップ1の絶望とステップ2の希望を経た結果として、ステップ3に至り、そこからステップ4以降に取り組む準備が整った(スタート地点に立った)とも考えられます。
僕たちは時々、「霊的体験が強烈であればあるほど回復が確かなものになる」という幻想を抱きがちです。しかし、それは「強い薬を一発飲めば治る」と考えるような浅はかなものではないでしょうか。
確かに、ビルやフィッツのように極限的な状況では「ガツンと効く霊的体験」が必要だったのかもしれません。
ですが、それだけで回復が維持されるわけではありません。
ビルやフィッツも、その後の日々の棚卸し(ステップ10)、祈りと黙想(ステップ11)、そして他者への奉仕(ステップ12)を続けた結果として、回復を維持したはずです。
つまり、「霊的体験の強烈さ」自体はそこまで重要ではないのではないでしょうか。
それよりも、「その後のプロセスにどう取り組むか」が何倍も重要です。
逆に言えば、どれほど強烈な霊的体験をしても、その後の努力がなければ元に戻ってしまうでしょう。
這い上がるなら、そこが「底」
今日のスタディでは、現代日本の医療のあり方についても話題に上がりました。「絶望的な状況の方がプログラムを受け入れやすいなら、入院期間3ヶ月は長すぎるのではないか?」という議論です。
僕はアルコホーリクではないので、これについてはわかりません。
ただ、もし数年間刑務所にいたとしても、シャバに出た瞬間に「本気でプログラムに取り組もう」と決意するなら、その瞬間がその人にとっての「底」になるのではないでしょうか。
「底」とは、絶望の深さを測るものではなく、「そこから這い上がる決意をした地点」を指すのだと僕は思います。
最後に
ビッグブックは、絶え間なく僕たちに問いかけてきます。
「どっちを選ぶ?」と。
そして、その問いに答えるのは僕自身です。
突然の霊的体験の有無や、その強烈さに惑わされるのではなく、今自分にできる努力を続けていきたいと思います。
今日も多くの学びを得ることができました。ありがとうございました。
ゆうき