二兎を追う
僕は老人ホームで働いている。
認知症状のある方について。
困りごとに対応したけど、
特に解決もせず、困ってます。
という記事w
#誰得
認知症をお持ちの方、
うちのホームにも多くおられる。
ざっと…六割の方がなんらかの
認知症状をお持ち。
改めて考えると半分以上なのか…
自分でもびっくり。
#おいケアマネ
認知症には定義があって、
「生後いったん正常に発達した種々の精神機能が慢性的に減退・消失することで、日常生活・社会生活を営めない状態」
生まれ持ってのものじゃないよ。と、
認知症っていう病気じゃなくて状態だよ、
ということ。
認知症状が強く出ている方に対して
【認知が強い】という言葉は成り立たない。
言いやすいのかして、よく聞くけども。
認知症状がない方、ある方、あいだの方。
#良い子悪い子普通の子
#世代ではない
それぞれに境界線があるわけじゃない。
人だし。
姿勢を相手より低く、
目を見て、
触れながら、説明する。
伝わった時は、すごく嬉しい。
というか逆に、
「〇〇さんは話が伝わらない」
という意見を聞くと、
伝わる様に話してる?
ちゃんと世界をつなげてから、
言いたいこと言ってる?と思ってしまう。
僕も何度も同じ対応をすることに
イライラしてしまう時はある。
どれだけ丁寧に、
百点満点の対応をしたって、
繋がらないことはある。
でもだからこそ、
そこは当然配慮した上で、
そこをスタートにして
伝わらない…と、困りたい。
僕の強みは、
高齢の方をかわいいと思えることだと思う。
老いが受け入れられない人もいるだろうから
しわくちゃの顔を見てかわいいと思えることは
強みだなあと思う。
さっきも書いたように、
境界線があるわけじゃない。
どれも、人。
認知症状があろうがなかろうが、人。
それまでの生活、役割、関わりがある。
言葉通り、人生がある。
認知症の定義、
【いったん正常に発達した…】
そう、生活してきた。
いつも部屋のドアと近くの手すりを
紐でくくってしまう方がいる。
昼夜の感覚が薄れて、
いつも寝る前の感覚。
本人からすれば寝てるのに、
鍵をかけてたはずなのに、
いつも勝手に鍵が開いてる。
僕らが援助に入るからね。
だから開かないようにドアと手すりをくくる。
泥棒に入られたのだと思って。
何もおかしいことはない。
鍵かけてるのに
次みたら開いてたら怖いもの。
そりゃドアもしばる。
自分の生活を守るため。
しかし、食事を運ぶ時とか、
ドアがくくられちゃうとシンプルに困る。
みんなで対策を考えていたら、
『手すりを退けてみては?』との意見。
たしかに普段使うような手すりじゃない。
無くなったって多分、
紐がくくれなくなる以外に困るとは思わない。
手すりを外す…
その前に伝えよう、となった。
まず話す。相手は人間。日本人。
その方向に行って欲しくないなら、
「そっちに行かないで」
まずそう言えばいい。
根本的に行けないよう、道をなくす前に。
ご飯を持って来れないので、
ドアを紐で縛らないでください。
と、手すりに注意書きを貼らせてもらった。
すると、しばらくはくくらなくなった。
こちらにも自分から話しかける様になり、
改善の兆しかな…?なんて思っていた。
まぁ甘かったんだけども。
ここ最近はまた、
「しばるなと言われても…開いとるからなぁ」
と、もっともな理由でくくるようになっている。
なんというか、
ムダ、なのかもしれない。
そもそも手すりを外せば
くくることはできなくなるんだから、
それでいいのかもしれない。
でもなんか嫌じゃないか。
こっち都合で、
相手の生活を勝手に変えるとか。
やっぱりわかってもらった上で、
双方納得して生活してもらいたい。
いやー…
難しいなぁ。
生活を尊重しながら、
困りごとも解決したい。
甘っちょろいですが、
しっかりまだまだ考えようと思います。