どれも正解
僕は老人ホームで働いている。
…あかん、
あかんです。
昨日は…寝落ちしました、、、
最近ダメですね。
ちょっと油断しすぎております。
気を取り直して!
二日間寝かせた記事をどうぞ。
#品質を保証するものではありません
うちのホームは
入居者さんを看取る場合がある。
看取るとは、
お亡くなりになるのをそばで支えること。
本人も、ご家族も。
ご高齢になれば、死に近づく。
治療は、積極的にすべきだと思う。
痛みや苦痛を取り除くことも大事。
歳だから、と諦める必要はない。
しかし、寿命はある。
どれだけ医療を用いたとしても
命の終わりは来る。
重い病気になられた方がいる。
Kさん。
一度は入院されたが
直る見込みがなく、
病院からは、
うちに戻るか、
より医療が強い施設に転居するか、
を迫られた。
ご家族は延命を望まず、
うちでできる事を精一杯やり、
看取って欲しい、と。
何より本人が病院で、
「ホームに帰る。帰らせてくれ。」
と言ってくれたらしく、
そうなったらもう、
応えるしかない。
退院してうちに戻り、
できる事をしていくことになった。
ケアマネとして、
援助は設定しているが朝令暮改。
現場の判断で目まぐるしく
最適解が変わっていく。
思ったより予後は悪くなく、
食事も少しはとり、
お話もできていた。
しかし先日、
朝ごはんまでは食べていたが、
お昼頃から息遣いが荒くなった。
在宅酸素は入れているが、
目一杯流しても酸素濃度が測れない。
血の中に酸素が少ない。
体が頑張ろうと、息が荒くなっていく。
意識が朦朧としていく。
ドクターが言うには、
苦しんでいるんじゃなくて、
最後まで命を全うしよう、
身体の状態を保とうとして起こっている
いわば自然な現象、ということ。
僕は
何人もの死に立ち会ってきた。
目の前で亡くなられたことも何度かある。
だから、その説明が理解できる。
しかし、ご家族は違う。
死に立ち会うのは初めての方が多い。
Kさんのご様子がおかしかったため、
ご家族には声をかけていて、
子供たち3人ともが集まれていた。
一人は、
「今からでも病院に行ったらいいんじゃないか?」
一人は、
「もう何をしたって延命になる。
今病院に行けば、
もう帰ってこられないかもしれない。」
一人は、
「今ここでできることはなんでしょうか?」
どれが正解だと誰も言えない。
Kさんが、
何かを言おうとする。
手が、宙を撫でる。
子供らが
「何?お父ちゃん、なに?」
「何かいるの?」
Kさんは、答えない。
言葉は出ない。
手を握る。
子供たちが。
僕が席を外し、
十分も経たないうちに、
Kさんは息を引き取られた。
子供たちがいる中で、
最後を迎えた。
悔いが残るのだろうか。
やり切ったのだろうか。
もっと他に
良い方法があったのかもしれない。
もっと長く生きれたのかもしれない。
大事なのは、
本人やご家族が、
意思を持ってKさんのことを考えたかどうか。
考えれるように、
僕たちが選択肢を提示できたかどうか。
表現が乱暴になるけども、
今回は、まずまず準備ができていたので、
選択肢は提示できた。
それを選んでいただく猶予もあった。
時には、本当に急な不調もあり得る。
最近はアドバンスケアプランニング(A C P)
という考え方も出てきている。
必ずくる最後に対し、
話し合っておくことは重要。
それぞれの方の最後に、
適した援助を設定できるよう、
今後も勉強していこうと思う。