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モヤモヤ→言葉に。

僕は老人ホームで働いてる。



書きたいことがありすぎて困る。

あれも書きたいこれも書きたい、
こんなことも書いてみたい。

毎日気付きが一つではないということか。

そういうふうに考えると、
贅沢な悩みなんだな、とまた気付く。

ノー友の方の記事を見ても気付く。
コメントからも気付く。

僕の思考を築いていく。


頭の中に入った情報を
練って固めて、外に出す。
noteは僕にとって陶芸。







今日は、
もったいない時間を過ごした。


管理者まで含めた複数の職員が、
1人の希望によって集まったが、
生産性の乏しい、
詳しく書くのも憚られるような、
重箱の隅を突くような議題。


管理者に呼ばれて僕も話を聞きにいく。

大まかな内容は、
「私の仕事が増えるのは困るから
他の人の仕事を増やしてください。」
という議題。
#はいそうですかと聞けるか


常日頃から、
論破はしちゃいかん。
論破しても相手に残るのは
気づきでは無くて遺恨。

そう思って接しているつもりだったんだが、
今日は…内容があまりにも陳腐だったので
コテンパンにやっつけてしまった。


相手はコテンパンなので、
こちらの真意が伝わるはずもなく、
ただ言い負かされたという悔しさだけを残して、
議論は終わった。


自分で褒めてやりたいのは、
相手の意見を飲んだ上で対応策を示して、
期間を決めて、
相手の成長する道筋を作ったこと。


それでも不満そうで、
「もっと周りの人が
勉強してもらわないと困ります」言うてたけど。
#子供か







んー、


いや。


そこまでわかってるのに、
相手の立場を慮ってやれない僕にも、
改善できる点はある。か。



論破はしてしまったけど、
気づいてくれればいいな。









不思議だ。

入ってきた時は
刺々しい、モヤモヤした想いだったもの。

頭の中で練って、
外へ出すときには、
違う言葉になっている。


感謝。




毎度の愚痴、
読んでいただいた方、
ありがとうございます。

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