“学びとは、広野に遍在する興味や関心を見つけ出し、その興味や関心を掘り下げること”という思考
今日は梅雨の晴れ間。でも梅雨ですね。じめじめ。
ボクは雨が好きです。雨の中、傘をささずに嬉しそうに歩くってわけではなくって、雨が降っているときに部屋の中で仕事をしたり用事をしたり本を読んだり映画を観たり。外のじめじめが部屋の中まで伝わってくるんだけど、雨音を聴いていると目の前のことへの意識が研ぎ澄まされていく感じがあるんだよなぁ。そうそう。そんな感じが好きなのです。
6月に入って小学校が緩やかに再始動しています。ほんとうに緩やかにって感じです。やっと今日から通常登校に戻っていて、ようやく3ヶ月近くにわたる、たぶん子どもたちにとっては嬉しかった長いお休みが終わりです。
うちの小学生3人たちも、さすがに限界だったようで、5月に入ったくらいから「早く学校に行きたい」と言うようになっていました。そして自宅でリモートワークをしながら子どもの勉強と面倒を見続けてきた親だって限界だったりで、第2波、第3波で再度の休校になったとしても、一旦はこれで良かったんじゃないかと、子育ての現場にいる身としては思うわけです。もちろん賛否両論はあるとして。
この期間、世の中の子育てをしながら働くお父さんお母さん、本当におつかれさまでした。ほんとに。とはいえ子育ては、今までと変わることなく、これからも続くわけではありますが。
ボクは子育てをしています。特別に熱心ではないけれど、それなりに考えることはあったりで、それなりの気持ちで子どもたちに接しています。
ボクが子育てにおいて大事にしていること。それは子どもたちができるだけたくさんのモノやヒトやコトに触れて世界を拡げて欲しい、偏見を持たずに、見たり・触れたり・経験して欲しい、そう思っています。そしてその見たり・触れたり・経験したことの中から、夢中になれること、いつか社会で自分が役割を担えるようなことを見つけて欲しい、そんな風に思っています。
見たり・触れたり・経験することって、「学ぶ」って言葉に集約される気がするのですが、そもそも「学ぶ」って何なのでしょう?ボクは小さい頃に学校の勉強を特別に頑張った記憶はないし、受験勉強もそこそこに、いろいろ寄り道をしながら今この場所に立っています。でも自分なりに興味や関心のあることは学び続けてきたし、何かを学ぶときに必ずしも将来の役に立つか立たないかだけで選んでいません。その興味や関心を起点に、深掘りしてみたら何かの役に立つところまで辿り着いたなんてこともあったりで。さらに言うと、それがいまのボクの役割に結びついていたりもするのです。
今日はボクが子育てで大事にしている考えを起点に、会社のスタッフの学びについて考えていること、おいかぜでの学びについての取り組み、おいかぜのこれからの学びについてやっていきたいことを言語化して、みなさんにお伝えできればと思います。
1、ボクが子育てで、子どもの学びで大事に考えていること
ボクは子どもの「学び」について考えるとき、彼らが大きな広野の真ん中にポツンと立っている姿を想像します。無限に広がる広野、それは世間であり世界でもある。最初は彼らは何も知りません。親としてのボクは、彼と彼の世界を俯瞰して見ています。あくまでイメージとして。
そしてボクが見てきたこと、触れてきたこと、経験してきたこと、その場所を教えます。彼らが小さいころは、それをやりたいかどうかなんてわからない。だからとりあえずはやらせてみます。それを繰り返すうちに、そして少し大きくなると、その場所に興味や関心があるかどうかということがわかってきます。彼らなりにその場所を深く掘ってみたり、自分で別の場所を見つけたり、またその自分で見つけた場所を掘ってみたりもします。彼らは少しずつ、その場所を増やしていき、場所同士を繋げたり、深く掘ってみたり、場所を見つけるだけで終わってみたり、なんてことを繰り返しながら生きていきます。
親というのは、こういう場所があるんだよって、その場所の存在を教えることが一番大事な役目だと思っています。だから彼らがその場所の存在を知ったからといって、いつも深く掘るわけではないから、やりたければやればいいし、やりたくなければやめればいい。けっこう難しいことだけれど、そんなスタンスを親が持っていれば、子どもたちはどんどん「学び」を拡げていけると思っています。
「学び」のその場所を知って、どう行動するかは子ども次第。短期的に見て、親に教えられた場所に興味や関心が出て深掘りすることもあるけれど、何十年後にその場所が突然掘りたくなったり、他の場所と繋がって興味や関心が生まれるなんてことは山ほどあります。たぶんボクのこれからの人生でもそんなシナプスが繋がるみたいな出来事がたくさんあるはずです。
人生でシナプスが繋がるみたいな出来事。ボクが小さい頃、たぶん小学生低学年くらいから、家にパソコンがありました。ボクの最初の記憶はEPSONのPC-286か何かだったと思います。父親はC言語のプログラミングをするシステムエンジニアで、専門書がたくさん置いてありました。ボクもプログラミングがしてみたいなぁと思って、BASIC言語にチャレンジしてみたことがあります。いくつかサンプルのプログラムをタイピングして実行してみたけれど、ボクはそのときそれほど深く学ぶことはありませんでした。でもそのときのインタプリタ言語への経験があったから就職のときに文系のシステムエンジニアに応募したし、その後にオープンソースのプログラミングを仕事にすることになった。幼いときに見つけた場所を頼りに、大人になってから深掘りをした、そうまさにシナプスが繋がるように。
子どもたちが、外で遊ぶこと、ゲームをすること、YouTubeを観ること、何かモノをつくること、学校の勉強をすること、塾で勉強をすること、友達と話すこと、料理をすること、お手伝いをすること、お片付けをすること、お金のこと、なんだって学びであって、その場所をたくさん知っておくことは人生を豊かにすると思っています。その場所を深く掘ることを彼らに委ねるつもりはないけれど、興味がなければその先はない。そんな風に思っています。
2、大人になっての学び、会社での学びの場とはなんだろうか?
じゃあ大人になって、会社での「学び」ってどう考えていけばいいんでしょう?ボクの考え方は子育てとなにも変わらないと思っています。
ボクが考える「大人になっての、会社での学び」とは、ボクが子そだてで大事にしていること、つまり「広野に遍在する興味や関心を見つけ出し、その興味や関心を掘り下げること」そのままです。
ボクはスタッフになるべくたくさんの学びの場を会社で提供してあげたいと思っています。でも会社のリソースの制約、働く人たちの勤務時間の制約の中で、全ての学びを提供して、深く学ぶことへの伴奏までをすることはできません。ボクたちのような中小企業で、何ヶ月も学びの場や機会を業務の範囲内で提供することは不可能です。でも「広野に遍在する興味や関心を見つけ出す機会をつくること」はできると思っています。
ボクが子そだてで大事にしている「こういう場所があるんだよって、その場所の存在を教えること」ならできると思っています。
3、おいかぜでの学びの機会
おいかぜではこの数年間、2つの方法で学びの機会を提供してきました。一つは合同勉強会です。第1期は株式会社翠灯舎 x 有限会社アーキテクトタイタン x 株式会社おいかぜ、第2期は株式会社マーブル x 有限会社アーキテクトタイタン x 株式会社おいかぜの3社で開催した三社合同勉強会です。テーマはプランニング、デザイン、ディレクション、マネジメント、エンジニアリングなど多岐に渡り、校正・校閲や印刷技術の勉強会もあったりで「広野に遍在する興味や関心を見つけ出す機会をつくること」にふさわしい勉強会でした。また終了後にはケータリングの食事を食べながら、各社のスタッフ同士の交流会も兼ねていたので、コミュニケーションによる学びや新たな興味や関心の発見にも繋がったんじゃないかと思います。
- 第1期三社合同勉強会のようす -
- 第2期三社合同勉強会のようす -
また、おいかぜのITインフラの部門であるプラットフォーム・ソリューション事業部では毎月、社内研修会を開催していました。(今は新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から休憩中。)プラットフォーム・ソリューション事業部は本社を含めると4拠点あります。各拠点の具体的な環境での技術事例を題材にした、スタッフが講師を担当する社内研修会です。Linux、Windows、ネットワークOS、ハードウェア、ソフトウェア、ネットワークの専用機器、セキュリティ、クライアント環境など、新旧問わず技術や技術にまつわる構築・運用・管理の学びの場をつくっています。
紹介した勉強会・研修会以外にも、スタッフ同士でやってくれていることもあるります。これらだけで十分なんてことはないので、これからも会社として「広野に遍在する興味や関心を見つけ出す機会をつくること」をするための取り組みを増やしていきたいと思っています。
4、ボクがやりたいこれからのおいかぜでの学び
新型コロナウィルス感染拡大の一件で、同じ空間にいて存在を感じることの意味や情報量の多さを改めて感じ、デジタルやインターネットの可能性の奥深さを体感し、ボクはいま学ぶための場所や機会や意味を改めて考え直しています。
こうやってnoteに記事を書いてボクの考えをみんなに伝えることも学びになるだろうし、動画配信YouTube Liveなんかを使って、社内で共有すべき技術をライブとアーカイブで伝えていけばいいかもしれないし、三社合同勉強会のアップデートかもしれないし、社内研修会の再会と継続かもしれない。大事なことはスタッフにとって「広野に遍在する興味や関心を見つけ出す機会をつくること」になっているかどうか。
ボクたちは子どものころから、広野に遍在する無数の興味や関心を探し続け、それらを掘り続けて、いろんなことに夢中になって生きています。仕事というカテゴリーに枠はあれど、何かを「おもしろがる」気持ちは昔も今も変わらない。ボクたちがその「おもしろがる」ことを忘れなければ、仕事も人生も豊かで楽しくなるに違いありません。
ボクは、そしておいかぜは「広野に遍在する興味や関心を見つけ出す機会をつくること」をこれからも続けていきます。そのことは、必ずスタッフのみんなの仕事や人生の「おいかぜ」になるはず。です!