”世の中のスナップショットをとる感覚がボクの情報処理を捉え直すきっかけになるかもしれない”っておはなし
みなさんは毎日どんな方法で世の中の出来事をキャッチアップしているでしょう?
テレビ?ラジオ?iPhoneのニュースアプリ?Twitter・Instagram・TikTokなどのSNS?ほんとにいろいろな方法があります。
ボクたちの情報摂取の方法はこの20年、いや30年で大きく変わりました。既存のテレビ・ラジオ・新聞などのメディアをベースに、インターネットの登場と普及、スマートフォンを中心としたユビキタス社会の到来、それらによって各画面では情報が更新され続け、ボクたちの身体のまわりでは言葉や画像や映像が溢れかえっています。いろんな矢印で向かってくる、意識しなければどんどん入ってくる情報たちをどう捌くか、最近この捉えどころのない情報処理について違和感を感じていました。でも具体的にどうすれば良いかわからないという感覚、言い換えるとするならば”世の中の今をうまく捉えることができない”、そんな感じだったのです。
情報をより多く・より速く処理するために誕生した様々な技術やツール。それらの技術やツールが必要だということはわかっているけれど自分がうまく追いついていないような、ボクはその状況を変えるために”紙の新聞を読む”という選択をしてみました。
新聞を読み始めてみて気付いたこと、それは”そこに在る情報”という概念。情報が流れていない、際限がある、その時点でパッケージされた情報。情報が動いているんじゃなくてボクが能動的に情報をとりにいくことのできる感覚。懐かしくもあり、たぶんボクが何か流されていない、世の中を自分ごととするために必要なパッケージがそこに在るということに気付きました。
メディアとしての新聞の優劣を語りたいわけではなく、ボクが世の中の今を捉えようとしたときの、新聞の機能としての特性、ボクにとっての最適性の話、”世の中のスナップショット”という感覚に気付いた話です。ボクの毎朝の紙の新聞を読むという行為は”世の中のスナップショット”をとるということに言い換えることができます。
スナップショットという言葉は一瞬の機会に取られる写真という意味、そしてここでボクが使う言葉としてはIT用語のそれの意味も含みます。ファイルサーバでバックアップをするときに、ある瞬間(時点)のイメージをとって保存したもののことを言います。バックアップの実態ではなく、首尾一貫した情報イメージ、そのイメージをシステムに戻せば問題無く動作するデータのことです。世の中の出来事や事象を”自分の感覚”で俯瞰的に捉えてある時間軸で明確に記憶することだと思っています。更にその結びつけた”時間”と”出来事や事象”を行ったり来たりできるようにしておくというようなとても感覚的なことです。
(ちなみに新聞を読むことでしか世の中を捉えられないということは、ボク自身が備えている世の中を捉えるカメラのシャッター速度が遅いという見方もできます。紙の新聞じゃなくても世の中を捉えることのできる人だってたくさんいるし、いまの世の中ではそちらが当然多数なわけですから。)
ボクの言う”世の中のスナップショットをとる”こと、それは世の中の出来事や事象を”自分の感覚”で俯瞰的に捉えてある時間軸で明確に記憶するために情報を摂取し整理する、ということです。
みなさんは家や部屋の整理・整頓をするとき、どういう方法を思い付きますか?ボクならばまずは家や部屋に新しいモノが増えないことを考えます。すごく当たり前です。今の状態を把握して、俯瞰して、カテゴリーに分けたり、要不要に分けたりしながら、整理・整頓を進めていくはずです。少なくともボクはそうです。
新しい情報がたくさん入ってくること、情報がアップデートしていくこと、どちらもとても大事なことではありますが、それらに振り回されていたボクは、たぶん情報の量にも速度にもうまくついていけていなかった、ボクの”世の中の今をうまく捉えることができない”感覚は”世の中の今”を整理するとき、自分にとって最適な方法を見失っていたんだろうなと振り返ったわけです。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
自分が消費するカロリー以上に食べたならば太るってことと同じように、自分が整理できる以上の情報を摂取すれば、それらを適切に整理・整頓することもできなくて、”世の中の今をうまく捉えることができない”というすごく当然のことです。
意識しなくても情報を無尽蔵に摂取してしまう現代において、自分が”世の中のスナップショット”をとれているか?ということを意識すると、自分にとって最適な情報との付き合い方を再発見するきっかけになるかもしれないと今日も新聞を読みながら思ったりしています。
Photo : Yukina Yokoi
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