人材の教育における"メタ化"と"カテゴリー化"の考察について
久しぶりの自分の頭の中にあることを言語化するタイム。
このnoteの記事、2020年4月から1年間、毎週1記事を書いていました。そして2021年4月からはほとんど書かないという1年を過ごし、再び書くターンに戻ってきた2022年4月です。それも月末。
直近の年末からこの年度末にかけては、毎年の如く忙しいことには変わりなかったのですが、去年の同じ時期に比べて随分マシだった気がします。いろんな理由があると思うんだけれど、たぶん一番の理由は毎週開催するようになった”リソースMTG”のおかげ。ただ単にクラウドツールで案件管理をするだけでなく、リアル・オンラインに拘らず営業・ディレクター・デザイナー・Webエンジニアのボードメンバーが顔を合わせて話すミーティング。だれがどんな感じで動いてくれているか、実際のタスク状況はどうか、ボクたちおいかぜのプロダクション事業部のヘルスチェックの機能を果たしてくれています。営業の近藤さんの発案で始まったこのミーティング、ボクと営業の近藤さんが各チームに適切に案件をお願いできるようになりました。
ボク自身はこの半年は採用活動で大忙しでした。面接ラッシュ。入れ替わりも含めて、広報1名・ディレクター2名・Webエンジニア1名・ITインフラエンジニア2名と結果として大型採用になりました。面接をしていて感じたこと、それはボクのこのnoteの記事を丁寧に読んでくださっている方が多いということ。1年間さぼっていたこのnoteの記事を書くモチベーションが改めて高まってきたわけです。ガンバリマス!
こんな勢いで人が増えてくると、社内に”教育”という機能がより必要になってきていて、一年前くらいから教育のためのチームを新たに編成しています。(これも近藤さんの発案)”教育Aチーム”(中途採用中心で社歴の浅い人たちのための)・”教育Bチーム”(新卒採用もしくは社会人経験の少ない人たちのための)といったように分けつつ、会議自体がメンターの機能を内包しています。ミーティングは定期的に開催をしていて(毎週もしくは隔週)、教育対象者には週報を書いてもらう、その内容に応じて参加者がフィードバックを行う、褒めたり指摘したり、アドバイスや雑談も含めたコミュニケーションの時間です。
そんなミーティングの時間を過ごしていると、自分の社会人駆け出しの頃を思い出します。先輩や上司に「同じ失敗を繰り返さないように」「一度聞いたことを何度も聞かないように」といったようなアドバイスをもらっていたなぁとか。「お前の良いところはここだ」「君はこういうところが素晴らしいね」みたいに褒めてもらうこともあったなぁとか。
教育ミーティングで感じること、それは”同じ失敗を繰り返さない能力”とか”自分の良いところへの気付き”にはとても個人差があるということです。当たり前の話ではあるのですが、失敗や指摘されたミスを自覚して修正し、自身の良いところを伸ばしていく人は仕事を覚えることが早くて、どんどん周りの人間からの信頼を得て、独り立ちしていきます。一方で”同じ失敗を繰り返す”だったり”自分の良いところ”への無自覚だったりの人がいる。つまり”成長の早い人”と”成長の遅い人”がいるということです。
1、成長の定義
成長とはいったいどういうことなんでしょうか?
仕事という場面に限った場合”成功を自分のものにして・失敗を減らしていく”ということが”成長”ということになるんだと思っています。あるいは”自分の良いところを伸ばして・自分の苦手を減らす”という言い換えでも良いと思います。もちろん両方という場合もありますが”長所を伸ばす”だけ”短所を減らす”だけでも成長という事象は発生します。一番良いのは”長所を伸ばす”・”短所を減らす”の両方が起きた状態。そして”長所を伸ばす”・”短所を減らす”の両方が起きない状態が”成長しない”という定義になると思います。いろいろなことを端折っているので、とても乱暴な言い方ではありますが、そういうことだと思っています。
ボクの立場と役割上、たくさんの人の成長の機会(もしくは成長しない機会)を見ることがあります。成長する人と成長しない人の差は何なのか?この人にはできるのに、あの人にはできないのは何故なのか、この人は成長が速くて、この人は成長が遅いのは何なのか、企業の人材育成という観点ではもちろんなのですが、単純な疑問として考えるのです。
ある日、教育ミーティングを続けていく中で、”長所を伸ばす”・”短所を減らす”という一見違う種類の事象に、もしかすると共通の何かがあるのかもしれない、ということに気付きました。
2、褒められること・指摘されることをメタ化すること
自分の社会人駆け出しの頃に先輩や上司に受けた「同じ失敗を繰り返さないように」「一度聞いたことを何度も聞かないように」というようなアドバイスってどういうことだったんだろう?と改めて考えていました。ボク自身も「同じ失敗を繰り返さないように」「一度聞いたことを何度も聞かないように」ということはよく言う気がします。そのアドバイスを実行できる人と実行できない人の違いはなんだろうか?実行できない人たちも真面目で頑張っているように感じるのになんで同じ失敗を繰り返すのだろう?
それはボクが考える”同じ”と、実行できない人たちが考える”同じ”が違うのかもしれない。ボクが”Aという失敗のカテゴリー”に入れ続けていた事象を、彼らは”別々のカテゴリー”に入れているのかもしれない。あるいはカテゴリーすらないのかもしれない。そう思ったのです。
逆に関しても同じことが言えます。”これが君の良いところ”と褒めるとき、ボクはカテゴリーを意識しています。例えば”進行管理が上手”ということを褒めるとき、色んな場面で色んな言い方で褒めるようにしています。つまり”進行管理が上手”というカテゴリーにいろんな言葉を入れていっている感覚です。受け手がそれらの全ての言葉を同じようにカテゴリーに入れてくれているとは思っていませんが、いろんな場面と言葉で”進行管理が得意なんだ”と感じてくれたら、ボクの意図は伝わっているわけです。
”褒めて伸ばす”という言葉がありますが、最近この言葉の危うさを感じはじめています。この言葉が間違っているとか、そういうことを言いたいわけではなく、使い方の問題なのかもしれません。”失敗”や”ミス”をカテゴリーに振り分けられない人は”成功”や”褒め”も同じようにカテゴリーに振り分けられない、つまりは褒められること・指摘されることどちらも等しくメタ化できないのではないか?という仮説です。
この仮説が合っているとしたら、いろいろ納得できることは多いのですが、少し困ったことになります。教育される立場からすると”褒めている”とか”指摘している”という事象のみを受け取っている可能性がある、つまり”褒められて嬉しい”とか”指摘されて困った”とか単純な感情の話だけになってしまうと教育する側からすると本意ではない。その感情自体(特に褒められて嬉しい方)は良いことだとは思うのだけれど、それだけだと仕事では100点ではないと思ったりするのです。
3、長所を伸ばすこと・短所を減らすこと・成長すること
じゃあ教育する側される側それぞれでどういうことを意識していけば良いかというと、丁寧なコミュニケーションで、良いところを褒めたり・失敗やミスを指摘したりということは当然に前提として、教育する側は褒めや指摘の具体的なところから抽象化する・メタ化しながらコミュニケートする、教育される側は受け取った具体的な褒めや指摘を抽象化する、このフローがないと褒めや指摘が感情論になってしまう恐れがあるということなんだと思っています。
つまり
ということで、お互いが感情より先に”メタ化”と”カテゴリー化”を意識することが大切だと言えると思います。
4、おいかぜの社内教育の目指すところ
じゃあ”メタ化”と”カテゴリー化”ができれば教育は全てうまくいくのかというと、決してそうではありません。そもそも人それぞれ”メタ化”と”カテゴリー化”の得意・不得意もあるし、”メタ化”と”カテゴリー化”をするのに得意なジャンルや苦手なジャンルがあります。教育する・される場面で”メタ化”と”カテゴリー化”を実施しようと試みても”何度も同じ失敗をする・してしまう”だったりとか”何を褒めていいのか・褒められているのかわからない”状態になれば、レイヤーやフィールドを変えたほうが良いでしょう。つまりは能力や適正の課題です。その判断を評価という方法で行う、それが組織であり会社だと思っています。
おいかぜで評価制度を取り入れている理由、等級や号棒を設定している理由、”やわらかい場所づくり”にチャレンジしていこうとしているのは、おいかぜに関わり続けてくれる人が健全にやり甲斐を持って働いてほしい、”長所を伸ばすこと・短所を減らすこと・成長すること”を目指しているからです。
いまこうやって偉そうに教育について”メタ化”と”カテゴリー化”を語っているボクですら、おそらくあるレイヤー・フィールドでは”メタ化”と”カテゴリー化”ができずにドロップアウトすることだってある。たまたまうまく見つけることができた自分の場所があるということは、何も特別なことではなく”メタ化”と”カテゴリー化”を試行錯誤した結果辿り着いた場所なんだと思います。
ボクは株式会社おいかぜの代表という立場において、人を雇って・人の教育をする立場である以上、みんなにこの会社で自分の働く場所を見つけてほしい、そんな想いで仕組みや制度を整えたり、日々みんなを褒めたり、指摘したりして、日々を過ごしています。
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