"ハイブリッドとうちゃん" - 自分を俯瞰して捉え直して"人生をフレキシブルで愉快に生きる"こと -
10年一区切り。ボクにとってのある10年間が、先月10/4に終わりました。
ボクには4人の子どもがいますが、最近小6の長男がとてもおもしろいんです。すっかり思春期に突入して生意気なところもありますが、ボクの中では2歳2ヶ月の瞬間で一度キャプチャされているというか、その瞬間がモノクロームで保存されている彼と時系列で成長していく彼の2つの彼をいつも重ね合わせているような、そんな感覚があります。
ここのところの彼のブームはNitendo Switchでやる”フォートナイト”、Netflixで観る”ハイアンドロウ”、Apple Musicで聴く”J-POP”。ボクも一緒になって”ハイアンドロウ”を観てみたり、彼が聴くジャパニーズヒップホップを一緒になって聴いてみたり、彼が何に夢中なのかがとても興味があって、ボクの好きと彼の好きに重なるところがあるのであれば、ボクの好きで彼の好きを拡げてあげらるんじゃないかと思っています。来年中学生になる事実は、時間が経つのは早いなぁということと、よく成長してくれたという感慨深さが入り混じります。ついこの間まで赤ちゃんだと思っていたのにもう12歳ですよ。
でもなぜ12歳の彼の話なのに"10年一区切り"なのか。
それは彼が2歳2ヶ月のときに彼のお母さん、つまりボクの前の奥さんが乳がんで亡くなったから。そのときからの時間のカウントはボクと彼にとって少し意味があるということなのです。
その頃おいかぜを創業して8年目くらい、仕事は軌道に乗っていて会社の経営は安定していました。前の奥さんと結婚してすぐに長男の妊娠がわかって、妊娠9ヶ月くらいで乳がんがわかるというびっくりな展開。妊娠10ヶ月で帝王切開で出産、そこから2年2ヶ月の闘病の末に他界。いまこうやってテキストに書き起こしてみてもほんとうに壮絶としか言いようがありません。
渦中にいたボクは目の前のことを打ち返し続けること、次々に降りかかってくる事実にどう対処するかということに必死だったように思います。人間というのは闘っているときは、そこに明確な敵なのか目的があるからむしろ強く生きることができる。そんな気がします。
家族や周りの人たちの大きな支えは当然あったのですが、2歳2ヶ月の息子とボクの2人になったとき、さすがに呆然として、次の一歩に、次の闘いにすぐに矛先を向けることができませんでした。
基本的にボクは課題解決型の人間なので、課題を与えられた方が活きる、そんな風に思っています。でもそのときは少し打ちのめされていたと思うし、自分をポジティブに客観視することもできていなかった。新しい生活を始める上で保育所を探したり、生活スタイルを模索しながら、シングルファーザーとしてどう生きていくかがんばろう、そんな感じでした。シングルマザーやシングルファーザー。いろんな事情があるから一概には言えないけれど、当事者たちはそんなつもりはなくっても、その言葉に纏わり付く悲しさとか哀れさみたいなものはあって、悲しさや哀れみで見られたり思われたりするのってしんどい。少なくともボクはそう思っていました。いろいろあって息子と2人になったけど、必死にやってきた結果だしまあ何とかやっていくしかないなぁって、わりとポジティブだったわけです。
でもその”言葉に纏わり付く悲しさとか哀れさ”をなんとかしたいなぁということも同時に思っていました。
当時息子2人で暮らしていたアパートから、保育園に出かけようとしていたある日の朝、こんなことを思いつきます。
シングルファーザーって”おとうちゃんサイドとおかあちゃんサイドの混合スタイル=ハイブリッド”、つまりハイブリッドとうちゃんって呼べるんじゃないだろうか。ハイブリッドとうちゃんはシングルファーザーだけのための呼称ではなく家事・育児・仕事に奮闘するあらゆるおとうさんのことを言うんじゃないだろうか。
単なる言葉遊びかもしれないけれどポジティブな俯瞰と客観が、ボクを気持ちの上で救ってくれました。その造語がきっかけで、後にこんなブログを数年間やっていたりしました。
今となっては再婚もさせてもらって、長男の下に3人の女子が連なっていて、会社はまだまだみなさまに必要とされていて、悩みがないわけではないけれどそれなりの日々を過ごしています。ほんとうにありがたいという気持ちしかありません。
ハイブリッドとうちゃんブログにも書いているのですが、ボクは自分が大変だったことを伝えたかったわけではなく、生きていて「おっとこれはどうしようもなくどん詰まりだぞ」って場面に遭遇したとき”ボクはこんな感じで乗り切りましたよ!”ってことを伝えたかった。
そういうときって自分の状況や感情に正面から向き合うと、めちゃくちゃしんどかったりします。ボクが自分のことを”ハイブリッドとうちゃん”と称したこと、主観から客観、つまり"自分自身を物語化"するような作業がとても役に立ったりするわけです。
10年前のボクはそのときの”自分自身を物語化”して、シングルファーザーをハイブリッドとうちゃんとして捉え直しました。ボクが自分自身を、たくさんいるシングルファーザーの一人から、ハイブリッドとうちゃんという個を獲得した瞬間でもありました。これなら前を向いて歩いていけるという"自分自身の物語”。
もしこれからの人生でどうしようもなく前に進めなさそうことに出会ってとき、無理にポジティブになれとか、前向きに生きていかなきゃダメなんてことは決してなくて、そのときの自分の立場や役割や状況を俯瞰して捉え直して"人生をフレキシブルで愉快に生きる"ことができればそれだけでいい、ボクの”ハイブリッドとうちゃん”という”ボク自身の物語”はそういうことが伝われば良いなと思っています。
ハイブリッドとうちゃんブログはもう何年も書いていません。でもまだアクセスしてくださる方がいらっしゃいます。ありがとうございます。いつかまた書き始める日が来るような気はしているんだけれど、たぶんボクは”ハイブリッドとうちゃん”の力を借りなくても前へ進んでいける。
もしまた何か「おっとこれはどうしようもなくどん詰まりだぞ」ということがあったとき、ボクは”ボク自身の物語”を使ってそのときの自分の立場や役割や状況を俯瞰して捉え直して"人生をフレキシブルで愉快に生きる"ってことをするんだろうなと思っています。
そして、こうやって自分のことを自分の言葉で”ボク自身の物語”的なコンテンツを世界の片隅に置いておけるインターネットって本当に素敵だなって思うし、ボクの”ハイブリッドとうちゃん”がいつか”だれかのおいかぜ”になれれば、素敵なことだなって思っています。
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