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大人理想論

こんちは!鯖の塩焼きです。好きな魚は鮭!よろしくお願いします!!!

生まれて24年目、社会人。もう立派な大人となった今、あの頃想いを馳せていた「大人」とはどう違ったか。ふと気になり、今から思い返すのでタラタラ喋らせてください。


10代の頃の理想の大人像


10代の頃、私が感じていた大人っていうのは「汚い」でした。大人は汚い。ズルイ。煩いし、面倒。その癖綺麗事は二日酔いの親父よろしくゲロゲロ吐いてくる。嫌な存在でした。(表現が汚くてすいません)反抗期なのか思春期なのか、ずっと大人に対して怒っていた。当時「ぜってぇコイツらみてぇな大人にはなんねぇ!」と意気込んでた。つまり、私の周りにいる大人達と正反対な大人になるのが私の理想でした。じゃあ私の周りにどんな大人がいたのか。振り返らせてください。

両親

1番身近な大人が両親でした。前のnoteでも書いた通り父はDV気質、母は自分の子供に優劣をつけるタイプ。親として大人として悪い例だなと子供ながらに思ってました。両親のような大人にはならねぇ、これは私の中で絶対だったのです。気に食わないからって人を殴るなんて絶対しない。誰かと誰かを比べてどちらかだけを褒めるなんて絶対しない。平等主義でいよう。それが私が両親を反面教師にして抱いた私の理想の大人でした。

教師

両親より嫌いだったのは教師です。両親とは嫌でも血が繋がっているし、相手の行動パターン、なにをすれば怒るか、などを詳しく把握出来た。けど教師は違う。THE身近な他人で大人。私の周りにいた教師というのは良くも悪くも、個性的だったのではないかと思います。小4の頃の担任はイジメを見て見ぬフリ。「うちのクラスにイジメはありません」って言ってた。いや、あったよ、イジメ。でもこのクラスで唯一の大人のアンタが無いって言ったら無い事になるの、本当意味わかんねぇな!あと保健医が最悪でした。具合が悪くて保健室に行った時保健医は何故だかキレていた。「平熱何度?」と言うので「37度です」と答えた。「平熱だよ?分かる?」「今37.8だけど。具合悪くないんじゃないの?」「早退すれば?」とめちゃくちゃ嫌な顔をされた。母が迎えに来た瞬間「鯖の塩焼きちゃん具合悪そうで〜」と愛想笑いを浮かべてペコペコしていた。私はこの保健医を今でも許していない。自分より弱い立場の人間には冷たい態度で、強い立場の人間が来たらペコペコ。シンプルに気持ち悪かったし、嫌悪感抜群の存在だったな…。立場を守る為だけに人を見下す大人にはならない、と誓いました。

バイト先の上司

高校生になり、バイトを始めたときの上司。あれは本当最悪だったなと。理不尽な怒りが多方面から飛んできた。新人がミスると「お前の責任だ!」と怒鳴り、店が忙しくなると「あれやれって言っただろ!」と怒鳴り…。奴隷になった気分でした。ちょっとしたミスくらいで怒鳴り散らかすような器量の狭い大人にはならないでおこう。そう学んだ初めての社会。まぁいい経験でした。

私の思う理想の大人って…。

こんな感じで周りの大人達から学び、こうはならんと誓った中で私が抱いた理想の大人は平たく言うと平和主義で平等主義。誰に対しても同じでいよう。誰も不愉快にさせない存在になろう。八方美人、上等だよ!…でした。関わる全ての人間にいい顔だけをする。なんかぼんやりとした良い人、が理想でした。

本当に大人になった今

大人への線引きって難しいけど、私は成人を迎えたその日から大人になったんだ、と実感しました。そしてどんな大人になったか…。そう、見ての通り、捻くれた大人になったのです。子供の頃から「大人びてるね」と言われてきたけれど、本当に大人になってみて分かった事があるのです。両親も教師もバイト先の上司も、みんな何かに怯えていたんだろうな、と。上からの圧力だったり、世間だったり。それからお金。子供の頃はお金を意識する事なかったけど稼ぐ側になって分かった。お金を稼ぐのバリムズイ。あの大人たち、生きる為に必死だったんだろうな。大人ってすげー金かかるし。税金とか、年金とか。なにより大人になって重く感じたのが責任。責任を持つって口で言うほど簡単じゃなかったっす。

大人になって出来る事は増えたし、買いたいものを誰の許可も得ず買えるし。けれど、買いたいものを買うお金があれど時間がない。余裕がない。そういった大人が周りにいて、それでそのストレスを弱者にぶつけていたのかな、と(個人的に)思ってみたり。それって嫌な事だなとやっぱ大人になっても思う。余裕があるって事が大切なんだな。多分。恐らく。知らんけど…。だから今、立派な大人の私は心に余裕を持たせるべく自分の思う事をnoteに吐いています。ゲロゲロ…(汚い表現ですいません)

大人は自由だけど大人は息苦しい

大人は自由。でもその自由にも責任がある。子供はなにをしでかしても誰かが守ってくれた。保護者が責任を取った。でも大人になってしまえば、それは全て自分に返ってきた。自由なぶん、不自由な事が増えたのです。縦社会も、人間関係もクソ息苦しいし、気休めのSNSでも謎マウントを取られたり。誰も守ってはくれないし、誰も完全な味方ではない。なにを糧にして生きてんだよ、大人…。って思うけど、大人って楽しいんだぜ。少なからず私は楽しいです。汗水流して手にしたお金で飲むお酒はね、世界一旨いんですよ。夜中に一人でドライブしながら熱唱するとね世界ってサイコー!って思うんですよ。大切ななにかを守る為、生きるってね、なんだか生きてんなぁ!オイ!ってなるんですよ。小さいプライドが少し輝いた時、仕事たのしーーーー!って思うんです。そんなちっぽけなものが糧になってます。うっす。

汚くて、ズルくて、綺麗事ばっかの大人にも人生があったんです。そうはならないでおこう、と思った私も大人になって漸く分かりました。アイツらにも人生あったんだわ、って。まぁ、今でもなりたくねぇって反面教師にしてますけど。でもそのおかげで私は今日も生きてます。有難う。自分の思う理想の大人に近付ける。有難う。ただ、私と同じように大人嫌い!って子がいたのなら、私はあの頃最も嫌いだった言葉を言っちゃうかもしれない。

「大人になれば分かるよ」

クソみてぇな言葉。でも真実。大人になれば、嫌でも分かった。大人なんて、良いもんじゃない。けど、大人になって広がった世界はそう悪くなかったよ。貴方が大人になる前に抱いた理想の大人になれるように、努力だけは怠らないで。その努力は大人になった時自分を救ってくれるぜ。今は私の言葉が「大人のクソうぜぇ綺麗事」に聞こえるだろうけど。うわ、自分で言っといてクソうぜぇな。すいません。でも本当の事よ 許してください…。

でも理想を持つってのは、やっぱ大切だなぁ。人を成長させるなぁ。思い返してみて実感しました。そして大人、サイコーじゃん!クソ面倒だけど!!自分の為に今日も頑張っちゃお!!!!!!!!!!

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