女という被害を乗り越えるカウンセリング 番外編

「満腹という感覚がわからないんです」

 私はカウンセラーにそう言った。

とにかく早食いで苦しくなるまで食べ続けてしまう。食事の量もどれくらいが適切な量か分からず、つい、多めに作ってしまう。にもかかわらず、皿の中身が全てなくなるまで食べる。食べ終わるとしばらく満腹で動けないと、カウンセラーに説明した。

「最近、摂食障害の本を読んだんです。私は過食嘔吐はしないし、下剤を飲んで全て出すということもないです。便秘がひどい時は下剤を使いますけど、二週間に一度くらいだし、そこまで頼っていません。ネットでも摂食障害の情報を調べてみたんですが、もしかしたら過食症かなって」

「早食いというと、どれくらいのスピードですか」

「10分か15分くらいです。犬食いみたいにバーって食べちゃいます」

カウンセラーは頷きながら、ノートにメモする。

「あと、お腹が空くのがすごく怖いんです。外を歩いている時に、お腹が減ると、すぐにコンビニに入っておにぎりとかパンを買って路上で食べます。お腹が減るというのも、そろそろ減ってきたな、という感じでなく、急に気がつくんです。多分、お腹が減っているのを我慢しているんでしょう。その限界が来ると、急な空腹を感じて、いてもたってもいられてなくなって、彼氏に『どの店でもいいから今すぐに入って!』と言ってしまって。普通の人ならお腹が減るタイミングとか、多少の我慢とかできるんでしょうけど」

コップに注がれた水を飲んで、私は記憶を辿る。

「そういえば、お腹が減りすぎて過呼吸発作を起こしたことがあります」

「そうなんですか?」

カウンセラーが少し驚いた顔をする。

「短大生の時、一人暮らしだったので、お金がなくて、あまり食べれていなかった気がします。いや、学食でお昼は食べてたからそんなことはないかな。過呼吸発作で倒れたのは、学校が終わった後、サークルに行く途中、夕方6時くらいでした。道を歩いている時に、急に耐えられない空腹になって、そばにあったパン屋さんに入って、パンを買いました。並んでいる途中に目の前が真っ暗になって倒れて、呼吸が激しくなって」

「そのあとはどうなりましたか?」

「お店の店員さんが休憩室に運んでくれました。しばらく休んだらよくなりました」

「過呼吸発作はよく起こしていたんですか」

「いえ、あとは高校生の時にあったくらいです。その時が初めてでした。当時、人の役に立ちたくて仕方なくて、学校に献血の車が来たから、絶対やろうと思って、生まれて初めて献血しました。その頃はまだ、薬も飲んでなかったので、献血できたんです。けど、どんどん血が抜かれているのを見ていたら、気持ち悪くなってしまって、呼吸がおかしくなってしまって。看護師さんたちがすぐに紙袋を口に当ててくれて、過呼吸発作の処置をしてくれたので、良くなりましたが」

私は食欲に関する昔の記憶を掘り起こした。

「初めて就職した編集プロダクションの時はひもじかったですね。月給が12万で食べられなくて、万引きしてしまいましたし。食事もご飯に味噌汁をかけただけとかが、良くありました。お給料が入った時に、好きなお寿司を食べようと思って、回転寿司に入ったけど、一番安い皿を三皿食べただけで出てきてしまって、空腹のまま店を出ました。食べたい時に食べられなかったせいか、自分のお腹の加減が分からないんです。一緒に暮らしている彼氏は食事の時、ゆっくり食べて、お皿に少し食事を残して、それをつまみながらお酒を飲んでて、どうしたらあんな風に余裕を持って食べられるのだろうと思います」

「小林さんの家ではご飯はどんな風に食べていましたか」

「朝ごはんはちゃんと食べてました。お昼は給食。夜ご飯は、母と私と兄。父はいませんでした。兄もいないことが多かったかも。ご飯とお味噌汁、それと大皿におかずがあって、それをみんなで食べる感じでした。思えば、家族みんなで食事をしたことってほとんどないんです。最近、土日に、レストランでお昼ご飯を食べる家族がたくさんいることを知って驚きました。私の家族は休日に外でご飯を食べるなんてありえませんでした」

「家でのお昼ご飯はどうでしたか」

「そういえば、うちのお昼ご飯は朝ご飯と兼用なんです。両親が土日は眠いからって昼過ぎまで寝ているので、朝ご飯を食べられなかったんです。でも、私は子供だし、朝8時には起きていて、朝ご飯がないので、ずっと布団の中で漫画を読みながら空腹を我慢していました」

「それは辛かったですね。子供だから自分で食事は作れないですし。小学生の頃ですか?」

「小学校の頃はずっとでした。何か食べたくても自分では作れないし、お昼過ぎまでお腹が減ってもずっと我慢して、我慢して。漫画を何時間も読み続けていました。子供だから漫画をたくさん持っていないから、同じ漫画をずっと読んで空腹を紛らわしていました」

「小学生の頃ですがら、6年間くらいは朝ご飯がない状態で我慢していたんですね。それは辛かったでしょう。今、その子をここに連れてこられますか」

カウンセラーが心理療法を始めるようだ。私は答えた。

「はい。連れて来られます」

視線を右上に逸らし、子供の頃の自分を想像する。

「お父さんと、お母さんが朝ご飯を作ってくれなくて、お腹が減って辛いね。この子のために何か朝ご飯を用意することができるか、ご両親に聞いてみてください」

私は両親ならどうするかとぼんやり考える。

「母親がおにぎりなら作れるそうです」

「おにぎりで満足できるか子供の頃の自分に聞いてみてください」

「おにぎりでもいいけど、あったかいご飯とお味噌汁、卵焼きが食べたいそうです」

「それはそのお父さんとお母さんが作ってくれそうですか」

「無理です」

「では、理想の新しいお父さんとお母さんを光の柱から下ろしてください」

私はぼんやりとした頭で壁を見ながら想像する。

「新しいお父さんとお母さんは、ご飯もお味噌汁も、卵焼きも作ってくれます」

「じゃあ、満足がいくまで食事してください。美味しい朝ごはんが食べられてよかったですね。あったかいご飯にあったかいお味噌汁、美味しい卵焼き、栄養満点ですね。これを1ヶ月くらい繰り返すことはできますか」

「はい」

私はカウンセラーの言う通りに、1ヶ月、休日の朝ごはんを新しい両親と食べた。おかずは卵焼き以外に、焼き鮭もあった、食後にはバナナ。和食に飽きたらピザトースト。

「1ヶ月の食事が終わりました」

「どうでしたか」

「美味しい朝ごはんでした。お腹いっぱい食べられました」

「他にしたいことはありますか」

「お昼ご飯はレストランで食べたいです」

「じゃあ、家族でレストランに行きましょう」

私は新しい両親と一緒にレストランでハンバーグを食べた。父も母もナポリタンやオムライスを食べた。

「レストランで食事を食べました」

「子供の小林さんはどんな感じですか」

「とても満足そうにしています」

「では、その子を今の小林さんがぎゅーっと抱きしめてください」

私は子供の私を抱きしめる。

「もう大丈夫だからね。もうお腹いっぱいで幸せだからね」

カウンセラーの言葉と私の思考がリンクする。

「では、その子を白い丸いボールに入れて小さく小さくして、小林さんの胸の中に入れてください」

私は言われた通りにした。

セッションが終わり、私はコップの水をグイッと飲んだ。

「土曜日の朝食のことが出てきたのはよかったですね」

カウンセラーが話す。

「私も朝食を我慢していたことが、いまだに影響があるなんて思ってもいませんでした」

「すぐには良くならないと思いますが、また、辛くなったら、小さい小林さんを呼びましょう」

「はい」

私はそう答えた。

「これって、ホログラフィートークというやつなんですか?」

疑問に思っていたことを尋ねた。

「うーん、正統なものとは違います。ちゃんとやるとこの時間では足りないんです。限られた時間で同じような効果を出せればいいという考えです」

トラウマ治療には謎が多い。しかし、精神科医の診察と薬だけで、この病気が治らないのは確かだ。

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小林エリコ
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