#11 未だ禍のなかにある時と
ひさびさのおいもです。
春の、いろんなものが一気に加速するような、ちょっと目が回っちゃうようなあの感じに
まだついていけてない私ですが
今日はなんとか早起きできたので、約3週間ぶりにぬるーっと始めちゃおうと思います。(笑)
さてさて、この間本当に色んなことが起きて
その瞬間瞬間の思いをそのまま書こうと試みても
既に色は移ろいはじめているから、そうはいかない。
だからその場で、今、私が熱っぽくあたまを働かせて考えることを、ここにはおいておこうと思います。おいもは長持ちするし度量のよいこだけど、できたて焼きたてのおいしさはやっぱり格別な気がするので。(笑)
目下私の課題は、おいもをいつ書こうか、ということにあります
学び、働き、遊び、、それぞれにほんとうに全力投球している今。
余剰がほとんどない日々の中で、
1か月ほどおいもが滞っていたのも、まさにその禍のなかで身動きがとれなくなっていたことが根にあると感じます。
(ここでは「禍」を、人為的で予防すれば防げるような、一種の「ままならなさ」のというニュアンスで使っています)
これはもはや、自己マネジメントの課題。
生活時間をまるっと考えないとどうしようもないところまで来ています。
ではなぜ、いま私はこうして筆をとることができているかというと
それは、ものすごく久々に早起きができたから。(笑)
こうして朝一で授業の開始時間に迫りながら書くと、
ちゃんと限界を意識することができる。
時間を決めているのは時計だけど、その流れかたを認識し解釈してゆくのは私自身。よーくじぶんのこころのリズムを聴いてみると、1日でも時間によって時のはやさも、それに相対するわたし自身も少しずつ違うようで。
さらに、同じように見える朝でも、この朝とあすの朝ではまた流れが異なる。
そんな微々たる、でも確かにあるような、ちょっとしたちがいを上手にきけるようになると
「禍」ではない、しなやかな世界のすがたが見える
私たちの世代が生きてゆく時代は
あって当たり前だったものが少しずつ姿を消してゆく時代になる。
これは文明が戻る、というのではない
ちきゅうの代謝のようなもの。
このあたりの話をすると長くなって1限に間に合わなそうなので、
今日はこれくらいに。
ということで、早起きできた朝に大好きなおいもを冠したこの日記みたいな、ブログみたいなものを綴っていこうという算段です。
今日もおいもを読んでくれてありがとうございます。
ほくほくした一日になりますように🍵
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