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自分の時間を取り戻す、たった一つの問い

「なんために情報にアクセスするのか?」

これを意識するだけで、だいぶ自分の時間を取り戻せた感触がある。
自分の時間というのは、「考える時間」や「読書の時間」「趣味の時間」といったものをさしている。これは各々異なるはずだ。

SNSの情報は脳みそと退屈にとってのスイーツに近い。
仕事の相談がSNS経由のメッセージで届いたりする場合もあるので、仕事柄完全なるシャットダウンは難しい。しかし、移動時間や寝る前のダラ見は完全に防げているように思う。特に平日。

不特定多数の日常を眺めることに当たり前になった。
可愛いアニマルや、友人に子供が生まれた、結婚した。
そんな情報だけであればいいが、もう人が繋がれるネットワークを超えて、誰だっけこの人?というレベルの日常やシェアされる情報にあふれている。
それは知らない人から届く手紙や年賀状、メールに近いコミュニケーションであり、その手の情報に脳みそが圧迫されるのを避けたいと思ったのが事の発端だ。

習慣という名の依存に近い。過去にアプリを消したりなんだりと色々試したことがあるが、どうにも退屈な瞬間にブラウザ経由でも開いている自分がいて、これは完全に依存だと痛感した。

だったら、アカウントを消せばいい。と思う人も多いだろうが、このSNS経由での仕事依頼ややりとりもある。それが逆にメールで連絡届きまくるのも嫌なので完全に断ち切る方がマイナスが大きい。

大事なのは適切な距離とアクセスの理由じゃないか。
そう気付いたタイミングから、SNSアイコンをタップするたびに自問自答することにした。

「なんために情報にアクセスするのか?」

たったこれだけの問いかけで、「あ、今習慣で見ようとしていた」と気付いたりする。逆に仕事の連絡の確認だからとチェックして、アプリを落とす。それが普通にできるようになっていた。

誰かの人生を眺め見るのが悪いわけじゃない。
でも、それは週末の平和なお昼下がりとかで十分だろう。
寝る前のYoutubeもやめた。クッキング系を見てしまい腹が減り夜食を食い太るから。それもなんのためのアクセスか?を考えるだけでピタリとやんだ。

やはりこれは「依存」そのもの。問題はアプリにあると思いがちだが多くは自分たちの方に問題がある。平日、タイムラインの風景を眺める時間があるのであれば、noteを開いて自分の心象風景に向き合い言葉に変えていく方が圧倒的に有益だ。

近頃はそんな些細な問ひとつで生活に自分のペースを取り戻せている。
本を開き考える時間がある。見逃したタスクはないかを冷静に考える時間がある。たった一つの問で生活は取り戻せるのだと思ったのでした。

これを見てる人は、iPhoneであればスクリーンタイムを見るといい。
恐ろしい時間、僕たちはTwitterやFacebookに時間を割いている。
その時間で何本の映画が読めただろう、何冊の本が読めただろう。
さぁ、自分の時間を取り戻そう。

Photo by Andrey Grushnikov from Pexels

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松倉早星(Nue inc・Ku-ko inc代表)
いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。