眼鏡あわない問題
眼鏡が合わない。似合う似合わないとかそういう話じゃない。
顔がでかい。顔がでかいと大抵の眼鏡はおもちゃ見たく見える。サングラスも同様だ。遺伝か何か、僕は顔がでかい。子供達も。ごめんな。
そして、僕は目が弱い。目が悪いのもあるけど、仕事のせいか夏に近づくにつれ目が痛む。真夏なんて外出ただけで日差しに目が焼かれる感じだ。なのでサングラスが必要になるが、これが似合わない。困ったものだ。サングラス・コンタクトレンズというものがないのか。
これはもうJINSさんとかに顔が大きい人向けの相談をするしかない。
同じ悩みの顔でか族はいるはずだ。そして、似合うメガネというのも今までなく眼鏡で過ごせたらそれは楽なんだけど、いまだに出会えてない。この一品的なものがあればジジイまで使い続ける自信がある。
ふと、昔の人はなぜ目が悪くなったのか想像してみた。
目を酷使する仕事とか?もしくは勤勉が故に月明かりやロウソクのあかりで目をやられたのか。いつから眼鏡が生まれたのか。モノクルとかしんどくないのかな?望遠鏡の技術とか、そういうもので作ったのだろうか。どうやって自分に最適な度数に調整していたのだろう。このいつもかけている眼鏡に至るまでどんな物語があるのだろうか。
自分の眼鏡似合わない問題を超えて、今この時代に眼鏡という形に至るまでどんな人たちがこのプロダクトに関わってきたのか気になってしまう。
目が見えにくい。これには見える力すなわち「視力」なるものがある!ではそれをどう測ろう。「C」これだ!みたいなことなのか。ロマンある。両目じゃなくて片目で測らないとだめだ!って気づいた時もあるのだろう。
眼鏡合わないなぁというネガティブな思いから、
なぜか眼鏡を生み出した過去の偉大な人類へのリスペクトという着地に至る。
おかげさまで今日もよく世界がクリアに見えています。
いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。