読書日記(2023.9.11) 森鷗外と脚気
NHKBSで放送していたフランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 「ビタミン×戦争×森鴎外」をみた。
明治時代、日本の軍隊では脚気が流行った。
原因は兵食の白米化である。白米を食べるとビタミン欠乏となり脚気を発症する。
海軍では、海軍軍医の高木兼寛(かねひろ)が、兵食のタンパク質不足を原因として、炭水化物の多い白米主食をやめ、肉やパンの洋食を取り入れ、いち早く対策を講じ、成果をあげた。
しかし陸軍軍医総監、森林太郎(森鷗外)は脚気の原因は細菌ではないかと仮説を立てた。
鴎外の卒業した東京大学医学部は、御雇外国人ベルツの在籍していた頃から、細菌学の研究を進めており、森鷗外もドイツ留学時代に、細菌学の権威コッホの研究所で学んでいた。
一方、高木兼寛はイギリスに留学しており、当時のコレラ対策として有効な成果をあげた「疫学」を学んでいた。
疫学は、環境的要因から病気の原因を究明する。
イギリスのコレラの流行は、井戸水が原因であった。
高木兼寛は兵食に原因があると考え、海軍内で、主食白米と、主食麦飯、主食パンの兵食のグループに分けて実験を行なった。結果、麦飯、パンが主食のグループには脚気が現れなかった。
しかし、森鷗外は、東大の学閥の奉じる細菌学に固執し、高木の説を批判した。高木は、陸軍内の権威である森鷗外と論戦する気は無く、白米が脚気の原因であるという主張を取り下げた。
兵士も、当時贅沢品だった白米を有難がり、麦飯やパンを嫌った。
また組織的な問題があった。陸軍の総数は90万人、海軍は5万人弱。海軍のように糧食を変更するには、陸軍においては、かなりの大掛かりな組織的変更が必要であった。
また麦飯用の麦は、湿気に弱く、白米は、保存性が高いという理由からも、陸軍に麦飯を導入するのは難しかったそうである。
脚気対策を行った結果として、台湾では2千人、日露戦争では、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡する事態となった。
農学者の鈴木梅太郎は、米ぬかに脚気を予防する栄養があることを突き止め、その成分をオリザニンと名付けた。オリザはラテン語で「米」を意味する。
その後、ポーランドの生化学者、カシミール・フンクにより、米ぬかの成分の研究が進められ、ビタミンが発見される。(ビタミンの”vita”はラテン語で「生命」)
米に固執した鈴木梅太郎と、グレコローマンな思想過程の中で、ビタミンを生命の必要物と結びつけたフンクの哲学的な差によって、鈴木梅太郎は、ビタミンの第一発見者になれず、さらには1912年のノーベル生理学・医学賞にノミネートされたが受賞を逸した。
鈴木梅太郎がノーベル賞を逃した理由は?ビタミンB1発見のきっかけは
(おわり)
お志有難うございます。