読書日記(2023.9.18) 回転寿司のデリバリーというオートメーションの果てのファスト化
大工が、大工道具を使って住宅を作るのは、人間が生命を維持して種を繁殖していくために作っている。
動物も巣を作るように、住宅は、人間の生命過程に必要なものである。
しかし、人間の建築した住宅が街をつくり、街が、巨大化して都市を形成した時、大工は、大具道具を使って、自然の中に人工的な世界を構築したことになる。
動物は、自然の中に、街も都市も作れない。作る能力を持っていない。
人間だけが、自然の中に人工的な世界を樹立することができる。
道具や器具は、労働の効率を上げるだけでなく、世界を樹立するためにあるのである。
しかし、道具や器具が、蒸気機関や電気の発明によって、機械へと進化したとき、人間の樹立した世界を破壊しはじめるのではないか?
ハンナ・アーレントは機会が世界を破壊する可能性について語っている。
例えば、回転寿司は世界を破壊しているのではないかという仮説を、私なりに立ててみた。
寿司職人は、生命を維持する食物としての寿司を握っている側面もあるが、おにぎりになくて、寿司にあるのは、寿司職人は寿司を握ることによって、人間の世界に文化を構築しているのということだ。
江戸前寿司は、江戸前という漁場で獲れた魚を使った寿司文化と伝統を継承している。
ちなみに、外食産業の三大発明は、タッチパネル式注文機、焼肉の無煙ロースター、回転寿司レーンと言われている。
回転寿司は、オートメーションで寿司を提供するという革新的な発明である。
回転すし屋のキッチンでは、「シャリ・マシーン」や「細巻きロボット」、「食洗機」など、あらゆるオートメーションが進んでいる。寿司ネタもおそらくセントラルキッチンで加工されて、最低限の作業を残して、各店舗のキッチンへと配達されているのであろう。
昨今、回転寿司屋をめぐるトラブルが後をたたない。
『寿司テロ』という言葉が生まれた。なぜ寿司テロが起こるのかという話は、以前書いた。
私は以下のニュースをみて、また新たな問題が起こっているのに気がついた。
持ち帰り用の回転寿司を、フードデリバリーサービスが配達するということから起こったトラブルである。
持ち帰り用の寿司は、消費者本人が持ち帰るのが原則だと思う。
回転寿司レーンの先っぽに、スマホアプリを使ったフードデリバリーサービスという、自動マッチングシステムが接続されることで、新たなトラブルを起こしているのである。
職人が素手で握った寿司を、すし桶で寿司屋の従業員が配達するということなら、責任の所在が、寿司店にある。少なくとも寿司店と客は直接結びついている。
しかし、フードデリバリーサービスというオートメーションを一枚噛んで、配達することで、回転寿司は、間接的に人間の世界を破壊しはじめている。
人間の世界を破壊するというのは、大げさだとしても、持ち帰り用の寿司を、フードデリバリーするという発想自体に、現代のオートメーションが世界に与える重大な影響=世界のファスト化への原因が潜んでいる。
寿司という消費財を最小限の効率で、消費するというオートメーションが、江戸前の寿司文化を破壊しているという、『横丁の蕎麦屋を守るのが保守だ©︎福田恆存』的なこということを、私は言いたいのではない。
そんな似非保守ムーブはどうでもいいし、お気持ち表明に過ぎない。回転寿司のトラブルを消費者のせいにして、日本人の劣化とかいう、誰でもいいそうなことに憤懣の矛先を向けるのは知性の怠慢だ。
私が言いたいのは、回転寿司を起点としたオートメーションが、すし屋で悪ふざけする寿司テロ少年の出来心や、持ち帰り寿司をフードデリバリーしてクレームを入れる消費者の思い上がりを助長しているのである。
つまり、寿司テロの原因は、消費者にあるのではなくて、オートメーションにあるのではないかということだ。
オートメーションは、どんどん寿司をファスト(=粗末)な消費財に変えている。
しかし、寿司に限ったことでなく、すべての分野で、このファスト化は進んでいく。(この問題は後でまた書いていく)
オートメーションは、人間の世界に、悪ふざけ、悪趣味、不謹慎という形で、亀裂を入れて、世界をファスト化していく。
このファスト化が、「すでに現代の人間の条件なのだ」とアーレントは、40年以上も前に指摘している。
(おわり)