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読書日記(2023.12.12)東京物語

BSで小津安二郎の『東京物語』のデジタルリマスターを放送しており、久々に見た。

3度目くらいである。今回見たらやっぱり泣いた。

どこで泣いたかというと、東山千栄子がなくなった後、杉村春子先生が泣いているシーンで、もらい泣きである。

最初に見たのは、20歳くらいの時であった。

原節子演じる紀子が、嫁ぎ先への義理を果たすという、健気な話だと思って、感動した。

しかし、40歳過ぎて見たときわかるのは、紀子が自己申告する「ズルさ」の内容である。

東山千栄子は、紀子に、いい人がいるというのに感づいていながら、紀子に再婚を勧める。それに対して、やや「おこ」な気持ちで対応する原節子のまつげだけで演じられるシーンの、家への義理は流石に欠かせないという、複雑な文脈が、今回、改めて見たときに凄まじいなと思った。

しかし、それはそれとしても、杉村春子先生演じる長女が、長男の山村聰に、喪服を持っていく? と確認した後、もう一回戻ってくる、やや無駄な動きがある。

「喪服持っていく」のシーン


今回見返してみて、その動きは「紀子さんにも喪服を持参するように連絡したほうがいいかしら、兄さん?」という確認を取りに行ったシーンに見えた。

しかし、山村聰は、もういなかったので、この演技は空振りであった。

この空振りが、尾道での「紀子さん喪服持ってきた?」の確認シーンと、形見分けにお母さんの着物が欲しいのシーンの伏線になっている。

このやりとりに次女の香川京子は不快感を示すのだが、紀子は、お姉さん(杉村春子御大)には、自分の世帯の自分の生活の自分の世界観があるのだから、仕方ないのよ、と諭す。

いい子ぶっているように見える紀子も、あたらな恋人がいるのである。戦死した夫と、まだ生きている姑の手前、再婚することはならないが、相手の候補は確実にあるのであろう。

義理の母の死をきっかけに、これで再婚できるという、紀子の打算がある。

しかし、その打算をギリギリまで抑制した紀子の義理堅さがある。

紀子には夫が戦死してからの喪に服した8年がある。しかし、恋人候補らしき人はいたのだろう。その人を待たせているのかもしれない。

彼氏候補の存在を、嫁入りしてもに服した手前、姑には打ち明けることなどできない。罪滅ぼしに、義理の両親をはとバス観光に誘い、義母の肩を揉むのである。

しかし、そんな健気な超国家主義的の嫁が戦後のニッポンにいるはずがあろうか? 戦死した夫の喪に服して、未亡人として、東京で一人で暮らしていけるだろうか?

そんなことは東山千栄子だって薄々分かっている。東山千栄子の再婚の勧めを受けて、しかし家制度の建前、それを姑の前で公にできないという、ジレンマが、原節子演じる紀子の表情に出ていた。

東山千栄子がなくなってから、葬儀の終わった実家に最後まで残り、義理の妹の香川京子のお弁当まで作ってから、全ての義理を果たしての、最後の「私ずるいんです」で、恋人の存在を笠智衆にほのめかすのだが、市役所課長クラスのインテリとして退職した一応はインテリの笠智衆も、それはもちろん薄々わかっている話である。

薄々わかって、それでも、すっとぼけている笠智衆=家長の務めも泣けるのである。

そこで、東山千栄子の時計を形見に渡して、再婚を促すという、日本の家制度のなし崩し的に解体を容認する家長の譲歩に、リベラルな味わいがある。

小津作品の今日にも続く、評価の土台となっている純和風リベラリズムがある。やっぱりリベラルである。「義理もここまで」というドライさが救いになっいて、笠智衆演じる義父も、そのことは理解している。

家制度を引き継いでいる正しい振る舞いは、山村聰と杉村春子である。

それはそれで、必要悪である。世の大半は山村聰と杉村春子である。

杉村春子先生が、母親の太ったのをバカにしたり、汚い下駄で銭湯に行けと、暴言を吐いたり、終始両親を厄介者扱いするのが、昔見たときは胸糞悪かったが、しかし、彼女は、家を出て嫁に行った身であり、母と対等である。それ以外の母に対する親愛の情は、別に以前と変わっていないのである。

大切なのは、母が亡くなるだろうと医者の兄に告げられたとき、真っ先に泣いたのは杉村先生で、その演技に白々しい嘘くささはなかったのである。その瞬間だけは、家に帰って娘である、逆コスモスムーヴなのである。


杉村御大は、自然の中に生きる動物的本能としての仕草全開であるが、それは嫁に行って家を離れた以上、当たり前の振る舞いだと思う。

三男の敬三(国鉄職員)は松坂に出張に行って(小津家の故郷やんけ)、臨終に立ち会えず、次女の香川京子は、学校教師で戦後民主主義リベラルである。

この四兄弟を書き分けたところがミソであり、『阿修羅のごとく』の向田邦子も、四姉妹ゆえに家制度には踏み込めきれず、小津が日本の封建的家制度に向ける眼差しは、かなりリベラルであると再認識した。


(おわり)





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信州読書会 宮澤
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