読書日記(2023.10.2) 『されどわれらが日々ーー』

『日本共産党-「革命」を夢見た100年』(中公新書)で言及されていた六全協ののちの学生たちの挫折を描いた作品

『されどわれらが日々ーー』柴田翔 文春文庫

をすでに買ってあったので、開いてみたら、スラスラ読めたので、半分ほど読んだ。

日本共産党は暴力革命を成功させるために毛沢東主義(マオイズム)よろしく山村工作隊を結成。武装闘争路線をとる。

高校生の頃から日本共産党の党員だった佐野は、党の方針に従って、潜伏生活を選び、半年ほど山村工作隊として東北の山の中で生活する。

山村工作隊に入隊するにあたって、街中で、旧知の女子学生、節子に出会ったために、感傷的になって、これからこれから潜行生活に入るという秘密を彼女だけに打ち明ける。

党の方針が変わって、六全協ののちに山村工作隊は解散する。

党に裏切られた佐野は、共産党をやめ、大学に戻り、卒業して大手私鉄に入社するも、その後、ブルジョワ的な市民生活への絶望で、自殺する。

佐野の遺書を読んだ節子も、精神に不調をきたす。

節子の婚約者であるこの作品の語り手の大橋(大学院生で、のちに大学教員)は、節子の動揺にとまどう。

第3章まで読んで、こんな感じだった。

柴田翔の作品は、彼の翻訳したゲーテの『親和力』で読書会をやったことがあるだけである。


『されどわれらが日々』は昭和39年の芥川賞受賞作。

読んでみて、どうか。う〜ん。政治的人間の自己欺瞞の深さを扱ったドストエフスキーの『悪霊』に比べれば、ここに描かれていることはおままごとだ。

政治運動に取り憑かれた人々の欺瞞的態度の組み合わせの中に立ち現れる特有の現象を描いているわけではない。

若者らしい理想を失って、世間の目に見えない秩序に順応して、プチブル市民として社会に埋没していくことの虚しさを恐れながらも、その虚しさを見ないふりして生きることが青春との決別だ、みたいな苦しさがまどろっこしく書いてある。

なんか、とんでもなく視野が狭いというか、社会科学的なものが何もない。

幼稚な学生運動と、虚しい社会人生活という二項対立が、大仰に描かれているだけである。

だから小説としても、三田誠広の『僕って何』(これも途中までしか読んでいないが)みたいだと思った。

ドストエフスキーとまではいかないが、せめてジョージ・オーウェルの『1984年』みたいに、転向問題を掘り下げてくれればいいのにと思った。


『ノルウェイの森』にも少し似ているが、『ノルウェイの森』の方がよっぽど怖いことが書いてある。自己欺瞞が人間を化け物にする様が、レイコという、一見すると物分かりが良さそうで、完全に頭のおかしな人間を通して描いてある。


せっかく読みかけたので、最後まで読んでみたい。


(おわり)

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信州読書会 宮澤
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