安部公房『けものたちは故郷をめざす』読書会 (2021.8.27)
2021.8.27に行った安部公房『けものたちは故郷をめざす』読書会のもようです。
私も書きました。
イマジンド・故郷と、エアポケットとしての荒野
『国民はイメージとして心に描かれた想像の政治共同体(イマジンド・ポリティカル・コミュニティ)である』とは、著名な政治学者ベネディクト・アンダーソンの定義である。
ソ連の侵攻により大日本帝国の傀儡国家であった満州国は崩壊した。国民の財産と生命を保護するのが国家の目的であるが、久三の財産と生命を保護するべき国家は、ある日、突然、消えたのである。
国家の崩壊のあと、日本人が日本人を、それも未成年の少年を、見捨てる、というシーンが描かれている。
(引用はじめ)
少年の一人が急に顔をあげて叫んだ。
「よう、乞食がのぞいとるぞう!」
そう言うなり、まるめた泥を投げつけてくる。肘で顔をおおって、久三も叫び返した。
「日本人だぞ、ばか、日本人だぞ!……」 (P.251)
(引用おわり)
子供たちは、母親に呼び戻され、家の戸は閉ざされた。
自分の体臭を意識することがないように、それぞれの家庭にそれぞれの生活に匂いがあるのに気がつかないように、普段の生活の中で、人は、国家を意識することはない。なぜなら、日本国という政治共同体は、頭の中の想像として、疑いのようのない位置を占めているからだ。
国家へ信頼の支えているものは、家族の絆とか、お墓参りして祖先を弔うのと同じ類のものだ。
人間は、目には見えないものを無意識のうちに、深く信じて、想像しながら生きている。
先日、NHKで、ある精神病院のコロナ集団感染を報じていた。感染者は、スタッフが足りないので、一部屋に集められて隔離され、鍵をかけられたという。トイレは部屋の真ん中の容器だけ。コロナ専門病棟を設けた都内の大手精神病院の院長が、人権に配慮しない精神病院のずさんな体制が、ほったらかしになっている現状を嘆いていた。
しかし、その同じ大手精神病院は、戦時中、国の命令で、精神病患者を感染症の人体実験の道具にしていたということが別の番組で明らかになっていた。
そして、それは動物の本能から、カラスや狼が弱った生き物を狙うように、弱い立場の人間は、国家崩壊に際して真っ先に切り捨てられる。久三が、同朋の日本人に見殺しにされるように。
信じていた国家が、自分を保護してくれないという現実にぶち当たり、頭の中で、はじめて、国家の崩壊に直面するのである。それは家族に裏切られ絶縁することや宗教団体に騙され棄教に至るような崩壊体験に似ている。
保護者を失った久三は、謎の人物、高に利用されていることを知りながら、彼と一緒に故郷を目指す。
想像の政治共同体としての故郷を、まだ信じているからである。
(引用はじめ)
もしかすると、日本なんて、どこにもないのかもしれないな……おれが歩くと。荒野も一緒に歩き出す。日本はどんどん逃げていってしまうのだ…… (岩波文庫 P.296)
(引用おわり)
平和な日本にも、エアポケットのように、突然、荒野が出現する可能性がある。そのことを想像するのが難しい。
震災やコロナ禍で、エアポケットのような荒野がちらりと顔を見せている
国家観のない政治家が多いと批判されるが、その前に、政治家は国民に「荒野」を見せてはいけないのである。
(おわり)
参考
読書会のもようです。
お志有難うございます。