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ジェーン・オースティン『高慢と偏見 38章から最後まで』読書会 (2021.9.17)

2021.9.17に行った、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見 38章から最後まで』読書会の模様です。

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私も書きました。


恋と革命、弁証法的発展のシークエンス

(引用はじめ)

主義としてではありませんが、実行においては、私は生涯利己主義者でした。(中略)不幸にも一人息子だったので、(いや、長年の間、一人っ子でしたが、)私は、両親に甘やかされまして、両親はいい人でしたが、(殊に、父はとても慈悲深くやさしい人でしたが、)わたしのことは、利己的で横柄であるように、自分の家族以外のものは誰も好きにならないように、世間の人たちを軽蔑するように、少なくとも自分のにくらべて、世間の人たちの分別や徳を低く見たがるように、かまわないでおくか、仕向けるか、教え込むかしたのです。八歳から二十八歳までは、わたしはそういう人間だったんです。そして、もしあなたが、いとしいかわいいエリザベスが、いなかったら、今でもわたしはそういう人間だったかもしれないんです! すべてあなたのおかげなんです!


 岩波文庫 下巻 第58章 P.244

(引用おわり)

高慢と偏見に囚われていたダーシーという青二才が、エリザベスに恋して、一度は告白してふられることで、自分の性格の欠点である利己主義を自覚して、克服していくことが描かれている。

利己主義というのは克服するのが難しい。

貴族で資産家で、何の不自由もないのに、どうして結婚する必要があるかといえば、貴族の家系を維持するという目的のためである。そこに、利己主義以外の何があろうか。


イギリス王室の藩屏になるためだとか、階級秩序を維持するためだとか、封建主義的ないろいろあるのかも知れないが、そんな社会背景はこの作品には書かれていない。


身分階級の違う男女が障壁を乗り越えて、自分の好きな相手と一緒になるというロマンが描かれている。

キャサリン・ダ・バーグ令夫人が、彼らの婚約を阻止しようとして、ベネット家に怒鳴り込んでくるドラマチックなシーンがあるが、あれは、階級的偏見である。

しかし、障壁の中での最大のものは、ダーシーの心の中の、ぬぐいがたい高慢と偏見である。

ブルジョワ市民社会の成熟によって、貴族とブルジョワの階級対立が和らぎ、続いて、彼らと労働者階級の政治的対立に移行していくのである。


この作品の100年後くらいには、労働者階級の森番メラーズが、ブルジョワ出身の貴族令夫人チャタレイの高慢と偏見を取り除いていく。


そして、田舎の地主貴族出身のクズ男が、戦後に流行作家となり、愛人と入水して情死するまで、あと150年である。


マルクスが洞察した歴史の弁証法的発展のシークエンス(連続)は、文学作品に描かれた「恋と革命」を通して、浮かび上がってくる。(なんじゃそれ)

(おわり)

読書会の模様です。




お志有難うございます。