読書日記(2023.9.3) レガリアとファスト回転寿司屋での寿司テロという共通世界の破壊行為
ハンナ・アレントの『人間の条件』に、人間の作り出した道具や器具は、製作物を作り出す「目的」を持っている、という指摘があった。そして、道具は、耐久性のある世界を樹立するという話が書いてあった。(『第4章 20章』)
日本には古来より、皇統の正統性として三種の神器が伝わっている。
こういう神器は、レガリアと呼ばれている。
中国にも「鼎」というレガリアがある。(堀田善衛の『時間』に「鼎」が出てくる印象的なシーンがある。)
王権の正統性を証明するものというのは、道具の持つ耐久性から、生まれている。
なんで剣や勾玉や鏡が正統性の象徴になるのかというと、道具は、製作物を作るという目的を持っている。そして道具によって創り出された製作物は世界を樹立する。
例えば大工道具は、建築物を作る。
そして、建築物は、自然の中に耐久性のある人間の共通世界を樹立する。
街を作り都市を作る。
道具は、世界の樹立に密接に結びついているのである。
道具は、世界観というイデアに先立つ。
しかし、ここに一つの逆説がある。
労働と消費は、道具の発達によって加速した。
道具は、世界を樹立するのだが、労働を効率化して生産力を向上させる道具、すなわち機械というのは、逆に、機械に人間を従属させて、人間を支配し、人間の共通世界を破壊してしまうという矛盾をもたらしている。
道具が、最終製作物という目的を忘れ、消費財を大量生産する「機械」に変わったとき、消費財という耐久性のないものを、人間の共通世界に溢れさせて、それを消費することだけが、人間のもっぱらの活動となる。
例えばスマホは、電話という通信手段であった。
他人と連絡するのが目的だった。
しかし、SNSにスマホでアクセスして情報を消費するという行動は、他人に連絡するという目的が失われ、情報を消費する手段として、なんの最終目的もなく、暇つぶしのために利用される。
あるいは承認欲求を満足させるという、なんの製作物も残さない、消費行動を加速させる。
さらには、スマホへのアクセスによって、ネットの情報に依存して、現実感を失い、リアルな共通世界を破壊するケースもある。
SNSで集まった闇バイトの若者が、報酬がもらえるという情報を鵜呑みにして、(実際には何ももらえない)高齢者の家に強盗に入るという行為なんかは、共通世界の破壊の典型例である。
消費財というのは、消費されればなくなってしまう。耐久性がないから、世界を樹立しない。食べ物は腐る。情報コンテンツも暇つぶしとなって何も残らない。
寿司を握る機械が、寿司という消費財を大量生産する。人の握った寿司で、いたずらするのは、不謹慎だし、寿司職人への侮辱でもあるので、やらないだろうが、機械が握った寿司は、消費財である。粗末にされる可能性がある。
職人の出刃包丁で魚をさばいて、寿司を握るのは、工作人による共通世界の樹立という行為に、似ているが、回転寿司の寿司マシーンに握られて、具を乗せられて、レーンに流れてくる消費財としての寿司は、寿司の消費財化による共通世界の破壊である。
ファスト人間の寿司テロは、共通世界が破壊された回転寿司屋でしか起こらないのである。
大衆消費ファスト社会は、消費財を溢れさせることで、共通世界をどんどん破壊するのである。スマホのように目的のない道具の使用というのは、世界中の情報にアクセスできて、便利なように見えて、共通世界を破壊する側面も持っている。
(おわり)