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安部公房『箱男』読書会(2024.12.6)

2024.12.6に行った安部公房『箱男』読書会のもようです。



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解説しました。


私も感想文を書きました。

箱男=√2 (Q.E.D.)


『箱男』は「数理の世界」を物語に持ち込んでいる。「数理」とは、「数字の持つ法則性」のことである。


ピタゴラスの定理(三平方の定理)は、「数理の世界」が現実の背後にあることを教えてくれる。直角二等辺三角形の二等辺が1mだとすれば、ピタゴラスの定理によって、斜辺は√2mである。この√2は、数字の比率で表せられない無理数(irrational number)であり、数えることのできない数字である。自然界には存在しない数であるが、数字や図形によって抽象化された「数理の世界」には突如として現れるのである。


ピタゴラスはこの事実を発見して驚いたそうである。(足立恒雄 『√2の不思議』ちくま学芸文庫 P.172 参照)


箱男は、この√2と同じである。


つまり、この物語は、もしも人が箱を被って、箱男に変身し、完全な匿名性を獲得すれば、現実の世界に対応しないような、箱男だけの法則性を持った「数理の世界」が立ち現れるということを暴いているのである。


偽医者が箱を五万円で買い取りたいというのは、一つの「数理の世界」である。社会は、お金という尺度で、自然を抽象化している。だから、お金を媒介にした売買契約によってなりたつ「数理の世界」がある。たとえば、人間の生命は、お金で換算されないものとされているが、その生命の生み出す労働力は、「時給いくら」でお金に換算される。人手不足解消のために賃上げしていくという昨今の現象は、お金を媒介にした売買契約からなる「数理の世界」が、生命としての人間の存在する自然世界と別個に存在していることを教えてくれる。労働力はお金で換算され、交換され、独自の法則性をもった、「数理の世界」を出現させる。労働市場のメカニズムは、人間が労働力を金銭に換算したとき生まれた、自然界とは別の法則性で動いているである。(マルクスは労働を中心とした近代社会の「数理の世界」の法則性を解明しようとした思想家である。)


いつも猿の話をして恐縮だが、猿は箱を被って「箱猿」にならないし、その箱をトチの実3個で交換するような数理の世界を知らない。しかし、人間が箱をかぶれば、箱男になりたい人間が現れ、また、その箱を5万円で買いたい人間も現れる。ここが猿と人間の違うところである。このような箱をかぶるという抽象化によって現出した「数理の世界」の法則性が、自立した体系をもって、猿山の背後に聳え立つとき、人間の群れは猿の群れを超えて文明化したのである。


人間の性欲というのは、種の保存という本性に根ざしているだけではない、ストーカーや痴漢や盗撮という生殖に関わらない特殊な性癖は、人間の肉体からセックスだけが抽象化されたとき生まれた「数理の世界」があることを教えてくれる。肉体から離れた人間の想像の中にしか存在しない性的興奮がある。人びとはそれらの特殊な性癖を追求するが、そこから得られる快感は、現実の肉体からきっかけをえているとはいえ、想像のなかでしか完成しない。女教師の弾く哀しげなショパンのメロディーがなければ、トイレを覗くことに興味がわかなかったであろうDという箱少年のエピソード(P.193)が、この想像によって完成される性的興奮について物語っている。


箱少年Dが渇望したのは、ショパンのメロディーと女教師の排泄音を二等辺とする、ピタゴラスの定理から導かれた、直角三角形の斜辺√2という、数えられない性的興奮の出現である。

(パンティーも直角二等辺三角形でなければならないのは自明であり、その√2の性的興奮は、女教師の手によって二進対数に変換されるという粋な展開になるのだが。二等辺三角形の頂点についてはP.131を参照)


古代アテナイ人は、人間の卓越性を記憶するために都市国家を作ったのだとハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で指摘している。(ちくま学芸文庫『人間の条件』P.318)


一方、現代の都市生活者は匿名性に埋没して、「数理の世界」を生きているのである。記憶されるのは公的領域で発揮される卓越性ではなく、「数理の世界」に生きる者の現実から遊離した想像上の産物である。

これらが次々と生産され消費されるスペクタクルが、都市文化を魅力的なものに錯覚させている。

現代の都市生活者は、程度の差こそあれ箱男なのである。

現代の都市生活者は、現実を拒否し、卓越性も放棄して、想像の世界で快感を得るグロテスクな生き物である。(私もそうだ。)


つまるところ「推し活」とか、「陰謀論」とか、昨今話題になっている現象は、全て箱男と同根の「数理の世界」から生み出される現実世界から遊離した想像上の現象なのである。


安部公房は、「数理の世界」を『箱男』の物語中で展開し、SNS全盛の時代を生きる現代人の正体を解明しようとした先進的な営みを行なったのだ。

『箱男』は極めて洞察力にあふれた知的な創作である。


(おわり)

読書会の模様です。


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信州読書会 宮澤
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