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【田舎】変化を楽しめたら

田舎、地域が変化することを恐れる私。
しかし、20年前、30年前と比べると私の過ごした地域というのはそれ自体が変化してきたものだったと気が付きました。

地域がなくなることは恐れても、変化を恐れてはいけない。
そう思ったことについて共有します。

そもそも何が怖いのか

私の感じている恐さというのは、私が楽しい幼少期を過ごしたこの地域がなくなるかもしれないというものです。

ここ10年くらいで、小学校の統合、子供の減少、道の駅の開設、護岸工事、耕作放棄地の増加などによって景観が変化しています。

地域の中心地には新しい建物や企業などが入っているそうですが、辺境にいる私の周りはなくなるものばかりです。
それに虚しさを感じるばかりで、「私が楽しい思い出を過ごしたこの場所はなくなっていくんだな」と考えていました。

無くなる=需要がない、必要ない、興味がないということなのかなと思い、勝手に悲しい気持ちに。

しかし、これは所詮エゴです。
楽しい思い出を過ごしたので、みんなで大切にしましょうとはならないです。
さらに、ただ悲しいと思っていることは甘えと自覚しています。

怖さの源

人、自然が生きている限り、変化は必ず起こります。
ずっと昔のままがいいというのはただの執着になってしまいます。

そのため、地域の変化の中で自分が嫌だと感じるものを考えてみます。

1つ目が大きな施設や住宅団地の開発です。

域内経済、移住者のことを考えると必要なことであることは理解しています。ただ、なんか違うとわがままな感情があります。

地域に見合った施設の開設だったのか疑問があったこと。
一過性にしか見えない補助金の使い方。
震災の経験から揺れの被害が大きいことがわかってる場所に施設を作る。
駅に近いという理由で作物が育つ畑を潰して住宅団地をつくる。

とてもわがままで偏見もありますが、本当にそれは地域、住民にとって必要なことだったのか、地域の雰囲気を無視して利益を追い求めようとしていないかなどどうしても疑いを持ってしまいます。

2つ目は住民が諦めていることです。

「こんな地域に人は来ない」「魅力がない」と考え、住民自身が地域を良いものと思っていないところがあります。
さらに、役場への文句もよく聞きます。

住民が地域を良く思っていない地域に住みたい人なんていません。
地域を一応先導している役場と住民の気持ちが離れていたら、良い地域なんて目指せるわけがありません。

「この地域が好きだから住んでいる」という大人に出会いたい、、、

素敵な変化

私だって地域に起こる変化全てを否定したいわけではありません。
素敵だなと思う変化もあります。

そう思うものは大体民間主体という共通点があります。
カフェをやりたい、農作物の販路を広げたいなど、誰かの夢を地域全体で育んでいるものはとてもワクワクします。

そう考えると、大きなものを作って大きな成果をあげようとするのではなく、地域から出た夢を地域全体で価値あるものに育てていくようなものが好きなのだとわかります。

心がそこにあるものが好きなんだとわかります。

最後に

なくならないで!変わらないで!とネガティブばかりにとらえるのではなく、ポジティブにとらえようと思います。
悲しもうが、楽しもうが進み続けることに変わりないので。

今回整理がついたことで、また地域への考え方が変化しそうです。
こうやって考えられるのがとても楽しい。

読んでいただき、ありがとうございました。




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