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痛むお尻をビンで叩いていた
私の仕事は、これからの社会で活躍する子どもたちのための、新しい習い事のスタイルの立ち上げに加わりながら、一方でクライアントさんを鍼・灸・マッサージで施術することもしている。
先日、あるクライアントさんが「先生、私、お尻をビンで叩くのやめたわ」と言っていた。
若い頃から、毎日の喫茶店での立ち仕事で、夕方ぐらいになるとお尻のあたりが痛くなってたまらなくなってくる。そうなると、そこらにあるビンで痛むところを叩く。叩くと何だかスッキリして数時間はもつようだ。
医療が分子レベルで研究されているというご時世である。
私の治療としても、個人個人の体全体の使い方の癖をみつつも、組織に緊張があれば、その中でも特に固くなっている小さな硬結をみつけて鍼を入れる。
それなのに、ビンで叩くのは大分、粗治療だな。
しかし、何かと忙しない高度成長期での仕事。時間のない中、細かいことを気にしている余裕もなかったのかもしれない。
忙しくて、やることが多すぎると、人間雑になる。
狭い日本、高度経済成長、人口密度、細かいことを気にしていたら、その波に乗り遅れてしまったのか。
微細なものに捉われている暇はなく、より粗雑なものへ。
しかし、やはり「神は細部に宿る」。
粗雑な肉体の中でも、痛みの原因は細部から始まる。そしてさらに微細なものは、心。
「忙」とは心を亡くすと書く。
時間はないことが、心をなくす理由になるだろうか。
先日、私と遊びたがっていた2歳の娘。仕事が残っていた私を気遣ってか、昼寝の時間でもあったので、妻は娘を連れて寝室へ。
夕方、仕事から帰ってくると、娘は居間で遊んでいた。私を見るなり、一瞬、口をへの字に曲げて、目線をそらし、今にも泣きだしそうだ。私が笑顔で「ただいま!」というと、気を取り直してか「おかえり、おとうさん」
娘の微細な心を蔑ろにして、仕事に出かけた自分を省みた。
お尻をビンで叩くことをやめたクライアントさんは、叩かなくなって、痛む部分がどこかはっきりとわかるようになったとのこと。
お顔を拝見すると、どことなく穏やかで、イライラした様子がない。
「叩きたい」という心を制御できるようになり、心のコントロールもできるようになったのかもしれない。