オンライン講義の効果を議論することの意味:教育とは何か

とあるIT教育企業の調査によると、オンライン講義の不満は、人間関係を築けないことが2位で、実は質問をしづらいことが1位だったとか。

これについては理解できる気がする。

短期間ではあるが、オンラインで講義をしてみて、教室の「空気感」がないことが気になったからだ。

例えば一定以上のレベルの、大学や大学院であれば、学生の学習意識が極めて高いので問題ないのかもしれない。自分が大学院時代を思い出すとそう感じる。

もっとも僕が大学院生のときは、落ちこぼれを自覚していたので、恥や周りの迷惑を気にしていたらついていけないので、解らなければとにかく質問したのもあるが、、、

普通の大学生であれば、やはり質問は難しいかもしれない。大人数の中で、「個」の時間を割かなければならない今のオンラインシステムでは、やはり気が引けるのではないであろうか。

これは、バーチャル空間なら解消できるかもしれないが。

学生さんの意見で、「今はわざわざ聞きたくない講義を聞かなくても、オンラインでレベルの高い講義を自由に受けられる」という話を聞いたことがあるが、これはこの学生さんの奢りだろう。
こういう学生さんほど有名大学のオンライン講義を聞いているそうだか、実は有名大学=良い先生というわけではない。
こうした学生さんは、ただ有名大学の先生の講義を聞いているという満足だけなのだと思う。

だって、大学は基礎だからどの大学でもそれほど変わらないし。

そう言えば15年ほど前、一橋大学の先生が、学生のノートを毎回確認しているという嘆きを語っていたことがある。

これはどこの大学でも同じだが、学生さんの‘やる気’の問題で、例えば今教えている専門学校でも、熱心な学生さんは本当にしっかり勉強するし、大学生のときの僕よりよっぽどしっかり勉強‘できている’という手応えがある。

ちなみにこれも僕の経験だが、博士課程になって、経営学会の全国大会に出席したとき、名城大学は東京の有名大学の院生からは3流扱いだったが、指導教官の名を伝えると、「あの○○先生の指導を受けているのですか!?」と、態度が一変した。

僕の経験から知る限り、大学院や学会レベルでは、大学名より指導教官(その研究室に所属できた)の方が評価されるし、ましてや学会では、テレビで有名な先生と学会で評価が高い先生は別だからだ。

その意味では、大人も同じかもしれない。

今僕が開催している勉強会では、本当に熱心な方ばかりだ。
大学の教員になってから、経営者の集まりで何度も講演を依頼されたが、受講者の意識にはかなり差があり、学生さんと変わらないと感じた。

学ぶということ、特に学問は何かを覚えることではない。だから受講者の姿勢や質問の内容によって、いくらでもレベルが上がるし、新たな学びがある。これは教える側にも言えることだ。

今、専門学校で真剣に取り組んでいることについて、「大学で教えた人が専門学校で真剣に講義をしているって偉い」といった意味のことを言われたことがあるが、これは全く逆の話。あらゆる教壇で、それが辻説法であっても、語るべきと感じた場で、覚悟を持ってかたることができるのが真の教員だ。

偉そうなことを言っているが、それでは「お前はどうなんだ」と言われると、、、恩師には足元にも及ばないが、それでも落ちこぼれながら、師の意志は繋いでいると思う。

結局、教育のレベルは教団に立つ者の「覚悟」が作るものであって、学校の名前で決まるものではない。良い学校とは、そうした意味で教員の覚悟を体現してくれる学校ということだ。

こうしたことを踏まえたうえで、単なる「システム」ではない、身のある教育を考えるべきだと思う。

文頭に挙げたアンケートから感じたこと。

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