「モノ」から「コト」の再確認
「モノからコト」という言葉を聞くようになっで、かなり時間が経ちました。実は、僕はこの言葉を、デザインの世界と関わるようになって、初めて聞きました。
僕は元来経営経済学が専門です。自分の研究だけでなく、色々なコトに携わりましたが、「コト」を成すのが僕の仕事ですから、当たり前のことなので、正直に言えば‘今更、、、’と感じました。
また近年では、「経験財」や「経験価値」という言葉が、広く使われるようになりました。しかしこうした言葉は、特に産業の主軸を「モノつくり」に置いてきた日本では、意味が曖昧で、明確でないように感じます。
そこで今回は、「モノからコト」について、再確認してみたいと思います。
・なぜ「モノ」だったのか
20世紀は文字通り大量生産大量消費の時代でした。フォードT型から始まった、ベルトコンベアによる大量生産と、非熟練工の、労働市場の拡大により、工業製品が急激に安価になると同時に、人々が、特に都市労働者が豊かになります。
その結果、生活に多くの機械が普及しました。
このとき普及した機械は、人々の生活を楽にします。薪を焚べなくても火が使えます。水に触れずに洗濯ができます。家事や労働が急激に楽になりました。
その結果、それまでとは比べ物にならないほど、余暇を楽しむことができるようになります。また家事から開放された女性は社会に進出し、より豊かになります。
日本においても、戦後焼け野原から急速に復興、発展を遂げます。戦前の日本の生活水準は、明治末期と大差なかったそうですから、戦後の生活様式の変化はめざましいものです。
実はこの頃、「モノ」と「コト」は一体でした。
生活を便利にする(コト)のための道具(モノ)でした。つまり、「コト」のために多くの「モノ」が生み出されました。
しかし社会がさらに発展し、過剰な豊かさが求められると、ステータスとして、「所有」することが目的となります。
この記事を書いていて思い出しましたが、若い頃、正にバブル期の真っ只中でしたが、カード型電卓が流行りました。「ハイテク」などという言葉が流行り、色々な製品が登場しましたが、実はカード型電卓を使った記憶はあまりありません。
使いづらかったので(笑)
バブルという、作れば売れる時代、見た目やファッション性ばかりに目が行き、いつの間にか「コト」が消えてしまったのでしょう。またこの時期、モノ作りをしていた人も、「良い物=作り手の満足」になってしまったのではないでしょうか。
・「モノからコト」とは
よく「モノからコト」という話をするとき、「モノ」のストーリーを語るという話を聞きますが、これは少し違うのではないでしょうか。
コンピューターの普及は、私達の生活を大きく変化させました。特に1980年代以降、様々な製品がコンピューターで制御され、多くの製品を簡単に使えるようになります。また、テレビゲームやPCの普及によって、ソフトウェアが消費財になりました。
加えて、コンピューター制御は、多くの家電製品などを「全自動化」させ、生活を一層快適なものにします。
その後、インターネットの普及によって、さらに消費構造か変化します。
生活の中に、IT機器が浸透し、ライフスタイルが大きく変化しました。これに合わせて、価値観も変化します。インターネットネイティブやスマートフォンネイティブ世代に至っては、全く異なります。
コンピューターにせよ、スマートフォンにせよ、実は単に「器」でしかありません。
ソフトウェアやコンテンツを購入するとき、例えばゲームや音楽なら、以前はソフトという「モノ」を買うことで「コト」が実現できました。この「コト」を楽しむためには、例えばゲームであれば、ゲーム機という縛りがあったり、高音質を楽しむプレーヤーがありました。
しかし現在では、「コト」を実現できる「器」であれば、「モノ」のブランドエクイティが失われつつあります。
加えて、例えば20世紀の価値観であれば、「高所得者の生活様式」や「低所得者の生活様式」という、漠然としたカテゴリーがありました。しかし現在では、このような概念も、崩れてしまいました。
(これについては、あらためて述べます。)
さらに、「モノ」の競争優位を、「コト」が奪う現象も起きています。
例えば、100円ショップやファストファッションなど、見た目と機能を果たせば、既存のブランドバリューを重視しない傾向があります。これは、「モノからコ」」とは、「コトを成せばモノは何でもよい」という現象を指すことになります。
例えばこれは、カメラメーカーが、市場を失いつつあることや、自動車販売において、軽自動車が大きなシェアを獲得していることからも理解できます。
つまり、「モノ」のブランドエクイティが失われているのです。
しかし一方で、これが全てではありません。
新型コロナウイルスの影響から、「豊かさ」にも変化が起きており、ハイブランドの生活用品が評価されています。この現象を見て、僕は、例えば、ブランドは、「ステイタスのプライオリティ」から「QoLのプライオリティ」に変化しているように感じます。
「モノからコト」を考えるとき、単に「モノ」に意味やストーリーを与えるという姿勢では、「コト」は成せないように思います。
どんな時代でも、優れた「モノ」は初めから「コト」のストーリーを有しています。
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