デザインを定義に至る.2
前回は、僕がデザインと関わり始めてから、デザインの定義に至るまでについて記しました。そこでも述べたように、デザインと関わって、あっという間に10年になりますが、それ以前の僕からすれば、まさか自分がデザインの定義を考えることになるとは、思いもしませんでした。
とは言え僕が、デザインを定義に至ることができたのは、学問研究という土台があってのことですから、自分の視野を広げ、新たな出会いをくれたことは事実です。
・デザインの定義
まずはじめに、僕が結論に至ったデザインの定義を記したいと思います。
「デザインとは、人が行う、あらゆる事物の最適解を実現する行為である。」
この定義に至るまで、僕の中で何度も定義を考え、見直しを重ねてきましたが、ある時期、デザインの意味や良し悪しが見えるようになり始めた頃から、短くシンプルなものになっていき、2023年の末にこの定義に納得することができました。
この定義で大切なのは、「人が行う」「最適解」「実現」の3つです。
①人が行う
まずデザインという言葉は、日本語では名詞ですが、元々の言葉、英語の[design]は動詞で、日本語に訳すと[デザインする]となります。
デザインの考え方に、自然物も含めて、全てのものかデザインされているという考え方がありますが、僕はこの考え方はあまり賛成できません。仮に「デザインされている」という受動詞として考えた場合、どういう意図のもと、どのようにデザインされたかという点を無視すれば、そう言えないこともないとは思いますが、基本的には、人が意図を持って働きかける行為だと考えます。
②最適解
デザインとは何かという話をするとき、よく「問題解決」という言葉を聞きます。これについて、全く否定するつもりはないのですが、本来のデザインは、もっと大きな、また広い役割と可能性を有していると考えます。
前回の記事で、僕が「研究者は問題解決をしない」と言われたことから、デザインの定義を考え始めました。この中で、「デザイナーが問題解決をしているのなら、研究者は問題解消をしている」と記しましたが、必ずしもデザインが、問題解決だけで終わる必要はなく、積極的に問題解消をも目指すべきだと考えますし、また研究者にとっても、デザインの考え方がこれからの社会に不可欠だと考えるからこそ、僕はデザインに関わっています。
またデザインが実現するのは、問題解決だけではありません。
ある種の装飾、例えば町中に飾られるクリスマスツリーなどは、問題解決をしているわけではありませんし、それが無かったとしても困りません。しかしその時、その場所にいる人の心を豊かにします。もしかしたら、悲しいことを思い出す人もいるかもしれませんが、、、それも1つの人の機微です。その人が、翌年は楽しい気持ちになれることを願います。
こうして考えると、デザインがもたらすのはあらゆる場面での「最適解」と考えるのが適切だと考えます。
③実現
「研究者は問題解決しない」という言葉に、大いに発奮させられたわけですが、これは当たらずとも遠からずで、実は研究者の最大の目的は「論証」することです。
学問分野によっても違いますが、研究者の評価は論文で成されます。論証するというのは、言い換えれば、常に同じ結果を出せる理論を構築することで、その結果としての成果物があります。
社会科学の場合、学識経験者として実社会に働きかけることもあるので、全く問題解決をしていないと言われると反論する必要があるのですが、デザインは常に実装され、実現しなければならないと考えます。
・定義と姿勢
この定義に至ったのは、2022年の末、確信を持ったのは、2023年の末でした。
2023年、東京で世界デザイン会議が開催され、日本デザイン振興会がデザインの定義を現しましたが、同じような内容もあったことから、僕の考えてきたことは、間違っていなかったと考えています。
そのうえで、デザインが何を成すべきかを考えるようになりました。
これからの社会の「最適解」を考えるうえで、僕が最も重視したいと考えたのは「倫理」です。
例えば多くの哲学者などが述べているように、今人類は、活版印刷以来の大変革の時代を迎えていて、その中の1つの考え方が倫理資本主義です。
これが正解とは言いません。しかし1つの考え方として、デザインと関わるマルクス経済学派である僕が考えることとして、「デザインの倫理」、「デザインによる倫理の実現」、「倫理のデザイン」といったことを、これからの研究テーマにしたいと考えました。
さて、どこまでできるかはわかりませんが、、、
これが、今の僕のデザインです。