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「今更じゃない?」 | 私の人生の取り戻し方③ | 毒親育ち卒業
誰かを愛する余裕はない。
――それがたとえ自分だとしても
前回のワークでは、自分が親を許せないのは、幼い頃の自分の悔しさを見捨てられないからだと気づくことが出来ました。
そして例によって再び、世に溢れるアドバイスに頭を悩ませることとなります。
「インナーチャイルドを癒しましょう」
「抱き締めて、辛かったねと言ってあげてください」
「あなたの心の内にある傷付いた自分に、そのとき言ってほしかった言葉をかけてください」
「自分を育て直して愛着形成をしないと癒えません」
私は、なにも子供の頃だけが辛かったわけではなく、大人になったそのとき(30代)でもしっかりと親子関係が辛かった。
なので、心に「インナーチャイルドを癒す」余裕は、微塵もありませんでした。
癒やしたり愛したりするには、まず自分の心が愛情で満たされていなければなりません。
砂漠の様に枯渇した大地からはどんなに気持ちがあったとしても他人に水を分けられないのと同じことです。
すでに安全圏に居る人がインナーチャイルドと対峙するのであれば可能なのでしょうが、私は前段階の、自分の中を愛情で満たす(満たされる)ことが出来ていなかった。
では、幼い頃の自分の悔しさを握りしめながら辛く苦しい毒親育ち人生を進むしかないのか。
そんなことはないのです。
少なくとも私には、インナーチャイルドを癒すよりも前に、毒親育ちの自分をやめるきっかけがありました。
それ、今更じゃない?
きっかけは、夫との会話でした。
夫はその頃、必死にメンタルについて学ぶ私のメンターでした。
時には壁打ち役として、ジャーナリングの様にひたすら私の思い、恨みつらみを吐き出す際の受け皿になってくれ
時には認知の歪みを正す役割を担い、心理カウンセラーたちのアドバイスの意味がわからない(毒親育ちにはこういう社会通念と自分の常識の乖離が多いです)私に根気強く説明してくれました。
さて、
心屋さんの学びで【どんな親でもこの私でしかなかった】ことを知り、
その後【親との関係が苦しいと言いながら、それを離さない矛盾】に気付いた私でしたが
愛着障害から、心は愛で満たされる感覚が全くなく、インナーチャイルドを癒さなくてはならない部分で完全に立ち往生していました。
何が何でも母を憎むことを辞められず、毎日毎日、夫へ振る話題の大半は母への愚痴だったとき
ふと夫が、言ったのです。
「あなたが辛かったのは分かったよ。で、どうしたいの?」
何事にも深入りせず寛容で心のキャパシティが広い夫は、自己肯定感がとても高く、自己愛も強い人です。
それを言われた時、私は、烈火のごとく怒り狂いました。
貴方みたいな人間に、私の苦しみの何が分かるの?!
分かるわけない!
分かってたまるか!
この苦しみは親から虐げられてきた人にしか絶対に分からない
気安く共感しないで
きっとこんな感じのことを言ったと思います。
毎日毎日愚痴を聞かせた上に、嗜められた瞬間に噛み付く。
客観的に見ると、とんでもないモラハラ妻です。
そして、否定されると怒り狂う愛着障害そのものの姿です。
私はこの頃、モラハラ加害者だったなと思います。
けれど夫は、特に感情的になることもなく、そこから一歩も退きませんでした。
「俺はあなたの受けた苦しみ自体を理解出来たんじゃなくて、あなたが今とても苦しんでるということに対して、分かったと言ったんだよ」
「で、どうしたいの?」
どうしたいのか。
考えたこともありませんでした。
どうしようもないことだからです。
母は、私が望んだところでどうにかなる人間ではない。
今まで何百回と変わって欲しいと願ってきたけど、母は粘着質で過干渉で自分の人生を生きずに子供の人生に寄生する卑しくて小者で感情的な恥ずべき存在のままだった。
「どうしたいなんて、別にないよ。どうにもならないから」
私が不貞腐れて返すと夫は畳み掛けます。
「じゃあ、お母さんに今まで辛かったことを謝ってほしい?」
母に謝られる?
想像しただけで反吐が出ました。
絶対に謝らせてなんかやらないと、そのとき強い嫌悪感が湧いたのを覚えています。
そういう毒親育ち専門カウンセラーも存在しますが、その時の私には耐えられなかった。
しおらしく謝られたって、私の失われた子供時代と、健全な愛着形成と自己肯定感と自尊心は戻ってこない。
戻ってこないという一生かけて背負う苦しみに対して、たった一言「ごめんなさいね」なんて言葉で、チャラにさせるわけないだろうと
震えました。
「謝られたくなんかない。今更」
私が夫に答えたその一言が、私の中の答えでした。
「そう。今更なんだよね。
今までの人生、お母さんに支配されてきて、本当に辛くて苦しくて絶対に許せない気持ちなんだよね。
で、今更謝られたいとも思わないし、謝らせてなんかやらないと思うんだよね。
じゃあ、今、どうする?ってことなんだよ」
夫はちょっと笑ってた。
闇を少し抜けた私のことを喜んでいたのかもしれないし、
こんな簡単なことにやっと気付いたの?と思ったのかもしれない。
ひどいことをされて、相手に謝らせる気がないのなら、
じゃあ私はどうしたいんだろう。
子供の私はなんて言ってるか
大人になってからもずっと苦しんでいるとはいえ、一番辛かった小学生時代の自分が私のインナーチャイルドでした。
大きくなるにつれて部活や塾など家にいる時間が減り楽になっていきましたが、小学生の頃は学校が終われば真っ直ぐ家に帰らねばならず土日も家族で過ごす掟があって、本当に逃げ場がありませんでした。
自分のお金も時間も逃げ場もなくて一番苦しかった。
その自分になったつもりで考えました。
小学生の自分は、大人になった自分に、どうなっていてほしいだろうか?
自分がされた仕打ちを忘れずに母を憎み続けてほしいのだろうか
それとも母と共に何処までも堕ち続けたいくらい自分の人生を悲観しているだろうか
しかし、何度考えてみても、小学生時代の私は、絶対にこう言うのです。
「お母さんのことなんか忘れて幸せになっててほしい」
あれだけベッタリ一緒に居た母のことを、物理的に離れて暮らす今なら、考えないことが出来る。
嫌でも聞こえる母の金切り声
干渉、指図、執着、暴力、暴言
物理的に離れているのであれば、心でも距離を取れるはずだ。
それなのに私は、結婚して家を出てからも、何年も母のことばかり考えて生きてきた。
過去の恨み言ばかり反芻して、今目の前にある自分の家族のことも上手く愛せず、自分自身のことを卑下して呪って粗末にしてきた。
何故なら
何故なら
母のしてきたことの罪を、もっと重くしてやりたかったから。
自分が母のせいで不幸になったんだと知らしめたい余り
私は、自らを可哀想で惨めで傷付いた人間に仕立て上げなければならなかったのです。
もう進展させる気持ちのない相手のことを、これ以上考える必要が、何処にあるのだろうか。
母と私の関係は、これから先どういう付き合い方をするにしても、ここが行き止まりなのだと
もうこれ以上は、どんなに悩んでも、どんなに悔やんでも、どんなに憎んでも、変わらないのだと
そのときようやく気付けたのです。
ここを理解するのは、少し抵抗がある方も居られるかもしれません。
毒親を理解してあげるわけではなく
許すわけでもなく
憎むのをやめるわけでも
幼い自分を見捨てるわけでもありません。
許さなくていい
憎んでいてもいい
だけど幼い私を、インナーチャイルドを
あの子を救うのは、
毒親との思い出に囚われ続けて惨めに虚しく生きている大人になった自分ではなく
毒親から解放されて、親のことなんか考えもしなくなって、幸せに笑ってる大人になった自分なのです。
見捨てるんじゃない
愛を無理やり捻り出すわけでもない
ただ幸せに生きる。
毒親育ちだからとか
機能不全家族育ちだからとか
愛着障害があるだとか
ごちゃごちゃ言わずに、ただ、今、ここを生きる。
この方法で、あなたのインナーチャイルドも、笑ってくれると思う。