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【読書録】『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』加谷珪一

今日ご紹介する本は、加谷珪一氏の『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』(幻冬舎、2022年)。

加谷珪一氏は、経済評論家。様々な媒体で連載を持つほか、テレビやラジオで解説者やコメンテーターをつとめていらっしゃる。

本書は、ひとことで言うと、タイトルのとおり、「失われた30年」の日本経済低迷の原因は、日本人のネガティブ思考のマインドである、というお話だ。

この本の内容には、かなり腹落ちした。以下、特に印象に残った箇所を引用・要約しておく。

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まず、日本人のマインドの特徴について、データに基づき概観している。

世界幸福度ランキング(2021年)では、日本は56位。先進国の中ではかなり低い(p19-20)

仕事のチャンス、成功に対する自信のランキングでは、22か国中最下位(p26-27)

「他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ」と考える人の割合は8.5%。対象5か国中圧倒的に低い(p28-29)
自殺による死亡率は10万人あたり18.5人で、英米加独仏伊より高い。15歳から34歳の死因のトップが自殺なのは日本だけの現象(p29-30)

スパイト行動(自分の利益が減っても相手を陥れようとする行為)は日本人に特に顕著(p32-33)

「コロナ感染は自業自得」と考える日本人は米国の10倍(p40-41)

日本社会は不寛容であり、日本人には他人の足を引っ張る傾向が強い。自己責任論を用いた弱者バッシングを行う社会であるということが導かれる。なんとも残念なことだ。

そして、この日本人のネガティブマインドが、なぜ経済成長を抑制するのかについて展開する。

妬みやスケープゴートが発生して、多くの人が委縮し、他人を信用しなくなり、経済にもたらす影響が甚大(p45)

信用できない相手と取引するリスクを軽減するために時間とコストを浪費。よく知っている相手だけに取引を絞り、狭い範囲で経済活動を行う(p45)

重層的な下請け構造による封建的な上下関係。これにより、下請け企業が合併などによりシェアを高め交渉力を高めたり、企業数が最適化されるといった、欧米で見られる市場メカニズムが働かない(p47-48)

硬直化した系列取引。付加価値が低く薄利多売、労働者全体の平均賃金を引き下げる(p48-49)

稟議書の「お辞儀ハンコ」のケースに見られるように、上下関係を軸にした不寛容な組織文化を死守するため、無駄がなくならず、長時間労働を抑制できない(p53-56)

そして、日本社会や日本人のマインドについて深掘りする。前近代的なムラ社会であり、経済合理性の観点が弱く、経済活動にマイナスとなっている。

日本社会は前近代的なムラ社会のまま。前近代的なムラ社会の特徴とは、
①富は拡大させるものではなく奪いあうもの
②人間関係とは基本的に上下関係
③科学的な合理性ではなく、情緒や個人的な利益で意思決定が行われる
④集団内部と外部を明確に区別
⑤根源的な善悪はなく、集団内部の雰囲気や状況で善悪が決まる
⑥自由や権利という概念が極めて薄いか存在しない(p60-61)

日本は近代工業化を達成し、物質的には豊かになったが、精神的な面では十分に近代化を達しておらず、そのギャップが様々な社会問題を引き起こしている可能性が高い(p61)

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
●ゲマインシャフト:地縁血縁など濃密な人間関係によって自然に結びついた集団
●ゲゼルシャフト:経済的利益など、ある目的を達成するために合理的に、人為的に作られた集団。
これらを分ける最大の要因は経済合理性。ゲゼルシャフトのほうが経済的に豊かで、個人の自由が尊重され、暴力的な支配から無縁となる。先進国の社会のほとんどがゲゼルシャフト的に運営されている。しかし日本社会では下マインシャフト的な風潮が色濃く残り、日本人特有のマインドを形成し、経済活動のマイナス要因となっている。(p84-95)

昭和の時代に高成長を実現したにもかかわらず、バブル崩壊以降成長できなくなった理由について述べる。

バブル崩壊以降、日本経済は輸出主導型経済から消費主導型経済にシフトせざるを得なくなり、個人消費が経済成長に及ぼす割合が高くなった。個人消費の水準は、国民のマインドに大きく左右されるため、消費主導経済においては、国民のネガティブなマインドは成長の大きな阻害要因となり得る(p99)

バブル崩壊以降、日本の経済構造が大きく変化したのは、製造業の国際競争力が著しく低下し、輸出主導型経済が成立しなくなったことが原因。製造業の国際競争力低下の最大の要因は日本人の思考回路(p99)

日本人は自国の技術を常に過大評価し、他国の新技術については過度に軽視し、貶める傾向が顕著。これは内と外を区別するムラ社会的な風潮にほかならない。日本人の成功体験に基づく傲慢さは突出している(p106-107)

自らの成功体験からくる驕り、最新技術の軽視、科学やデータを無視した意思決定という日本人の思考回路は、戦前から変わっていない。内と外とを異様に区別する、過去の経験や体験を絶対視する、情緒や利益を優先し、科学的な合理性を無視するという言動は、日本人の失敗事例のパターンであり、前近代的社会に見られる特徴。(p113-116)

消費主導経済へのシフトの失敗に、マインドが影響していることを述べる。

日本経済は輸出競争力の低下を通じて、実質的に消費主導経済へのシフトが進んでいたのだが、社会全体がその流れにうまく対応できず、その結果、消費が増えず、企業の設備投資も拡大しないという状況に陥っている(p148)
既存の経済学では、根本的に消費を増やす方法は解明されていない(p150)
毎日の生活が充実していて、明るい雰囲気に満ちている社会と、陰湿でバッシングが多い社会とでは消費水準が異なり、最終的にはy投機的な経済成長にも影響する可能性が高くなる。これがマインドが経済に与える影響(p154)

イノベーションの進展度合いも、消費水準を大きく左右する要因。イノベーションの進展によって、企業がより魅力的な製品やサービスを提供できるようになれば消費者のマインドが変わる(p154)

ムダなことに血道を上げる企業文化は、IT化の遅れ、業績向上の失敗をもたらす。このような社風の企業で斬新なアイデアが社員から提案されたり、失敗を恐れず挑戦する流れは期待できない。結果として消費者がどうしても欲しいと思う製品やサービスは誕生せず、国内消費は停滞。業務の効率化は進まず、残業時間は減らず、賃金も低く、私生活は豊かにならない。こうした風潮の積み重ねが日本の消費を蝕んでおり、その影響は決して無視できない(p160)。

最後に、著者が日本人のマインドにとって重要だと考える視点を示している。

前近代的ムラ社会の生産性は低く、富は有限であり、社会は不寛容。近代的な資本主義社会ではイノベーションによって富を持続的に拡大できるため、わずかな富を皆が奪い合う必要がない。経済のパイ全体を拡大していけば大抵の問題は解決する(p204-205)

日本人はもう一度、初心に帰って、諸外国の良いところは謙虚にかつ積極的に取り入れる努力が必要。そのために重要となる視点は以下の3つ:
①データと科学を重視するリアリズム
②個人と企業の自由を保障
③根源的な理念や価値観の共有(やって良いことと悪いこと)(p208-209)

国家であれ企業であれ、近代的な組織において意思決定の基礎となるのは、データや自然科学(サイエンス)を土台とした客観的な状況分析。正しく扱えば大まかな方向性についてほどんど間違うことはない(p210)

前近代的なムラ社会では、たいてい、合理主義とは正反対のプロセスで意思決定が行われる。集団を構成するメンバー同士の上下関係や情緒、その場の雰囲気が最優先されるので、科学的な知見が無視されたり、相互矛盾の状態が維持されたりする(p214)

合理的な知性に基づいて消費経済を活発化させる有力な解決策のひとつは、個人と企業における自由な活動をルールとして保証すること。日本では、空気や雰囲気が大きな影響力を持ち、個人の自由が完全に保障されているとは言い難い面がある。政府は(問題が発生しない限り)個人や企業の活動に介入しないというルールを徹底するだけでも大きな効果がある。日本では、新しいテクノロジーが登場しても、否定が先に立ち、まずは使ってみようというスタンスにならないことがほどんど(p215)

近代的システムでは、特定の個人の才能だけに異存するものであってはならず、仕組みとして合理的意思決定ができなければならない(p214)

日本人は根源的な善悪の概念に鈍感であり、集団の秩序維持という目的に従って、その場の空気や雰囲気で善悪を判断するという特徴がある。根源的な理念や価値観を持たないと、問題に遭遇した際に大局的な判断ができなくなる。細かいマニュアルがないと行動できなくなるうえ、大きな間違いをする社会的リスクを増大させる(p217)

不正行為を行う日本の経営者の多くは、その場の雰囲気で行う場合がほどんど。成果を上げなければという社内の雰囲気に押され、やむにやまれずに不正行為に至ったのであり自分に責任はないという釈明をする人もいるが、こうしたケースは海外ではあまり見当たらない。行為に対する根源的な価値観や善悪の有無が大きく関係していると考える(p218)

倫理観や善悪の概念は、高度な資本主義の発達にはなくてはならないものであり、社会学の世界ではかなり前から確立している概念(p218-219)

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「底意地の悪さ」という挑戦的な用語を使ったタイトルから受けた当初の印象と、読了後の印象は異なった。たくさんのデータや、文献に当たって論旨を展開している良書だと思った。

前近代的ムラ社会、というのは、自分が育った実家のある地方都市のコミュニティーや、勤めたことのある日系の職場でもそうだったなあ、と、頷きながら読んだ。

そして、私がここ15年以上勤めている外資系企業においては、経済合理性に基づいた組織運営の仕組みが、DNAとして徹底されていることに気づいた。まるで目から鱗が落ちるような思いがした。

たとえば、欧米本社からの指示で、会社のよって立つMission, Vision, Valueをしつこいくらい繰り返し教育される。その結果、行動規範に反する行為に対する処罰は、大変重い。「不正行為を行ったのは営業成績を上げるためだったのだから、大目に見てほしい」という言い訳は、全く通用しない(「ゼロ・トレランス」)。役職の大変高い人たち(日本法人のみならず、本社の要職に就いている人でも)が、突然クビになったことも、何度もあった。

徹底した成果主義もそうだろう。残業するようでは効率が悪く、マイナス評価となる。上下関係は固定されておらず、業績や態度の良くない社員の降格も、日常茶飯事である。

また、自由の保障もある。成果を出していさえすれば、働き方はかなり自由にさせてもらえる。同僚のプライバシーには関心がなく、義務的な飲み会なども、殆どない。誰でも新しいアイデアを出すことが、常に奨励され、予算がついたりする。経済合理性を実現するための仕組みが普通にちりばめられていると思った。

ただ、外資系企業といっても、多くの日本法人においては、日本人社員が大多数を占める。そのためか、日本人的なマインドや雰囲気に支配されている会議も、決して少なくはない。

日本人のビジネスパーソンや政治家は、一度は、外資系企業など、日本以外の国の組織で働いてみれば良いように思う。そうすると、百聞は一見に如かずで、経済合理性に従った意思決定が自然と身につくのではないか。

日本の政治家にしてもそうだ。たとえば、外資系企業の日本法人の社長や役員経験者などがもっと国政に携われば、少しは変わるのではないか。外資系企業に勤める日本人で、能力があり尊敬するリーダーに出会うたびに、この人が国会議員になってくれたらなあ、と思うことも多かった。しかし、彼らの多くは政治には興味がなさそうだ。永田町のムラ社会で消耗し、SNSなどで批判に晒されるのは割りに合わない、と考えているのかもしれない。

ひとりの日本人として、日本人のマインドを批判する本書を読み通すのはつらいものがあったが、その内容には腹落ちした。日本人のマインドが少しずつでも変わっていけば、日本社会が寛容になり、新技術や新しいアイデアが積極的に取り入れられるようになり、消費も活発になり、経済的にも発展を取り戻せるかもしれない。本書の最後のまとめでは、著者も、日本人の力を信じている、と結んでいる。

本書の日本人のマインド批判には、大いに嫌悪感を感じる読者もいるだろうし、そうした人から批判の的になるかもしれない。それも恐れず本書を出版された著者に、敬意を表したい。

ご参考になれば幸いです!

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サザヱ
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