今日ご紹介する本は、加谷珪一氏の『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』(幻冬舎、2022年)。
加谷珪一氏は、経済評論家。様々な媒体で連載を持つほか、テレビやラジオで解説者やコメンテーターをつとめていらっしゃる。
本書は、ひとことで言うと、タイトルのとおり、「失われた30年」の日本経済低迷の原因は、日本人のネガティブ思考のマインドである、というお話だ。
この本の内容には、かなり腹落ちした。以下、特に印象に残った箇所を引用・要約しておく。
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まず、日本人のマインドの特徴について、データに基づき概観している。
日本社会は不寛容であり、日本人には他人の足を引っ張る傾向が強い。自己責任論を用いた弱者バッシングを行う社会であるということが導かれる。なんとも残念なことだ。
そして、この日本人のネガティブマインドが、なぜ経済成長を抑制するのかについて展開する。
そして、日本社会や日本人のマインドについて深掘りする。前近代的なムラ社会であり、経済合理性の観点が弱く、経済活動にマイナスとなっている。
昭和の時代に高成長を実現したにもかかわらず、バブル崩壊以降成長できなくなった理由について述べる。
消費主導経済へのシフトの失敗に、マインドが影響していることを述べる。
最後に、著者が日本人のマインドにとって重要だと考える視点を示している。
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「底意地の悪さ」という挑戦的な用語を使ったタイトルから受けた当初の印象と、読了後の印象は異なった。たくさんのデータや、文献に当たって論旨を展開している良書だと思った。
前近代的ムラ社会、というのは、自分が育った実家のある地方都市のコミュニティーや、勤めたことのある日系の職場でもそうだったなあ、と、頷きながら読んだ。
そして、私がここ15年以上勤めている外資系企業においては、経済合理性に基づいた組織運営の仕組みが、DNAとして徹底されていることに気づいた。まるで目から鱗が落ちるような思いがした。
たとえば、欧米本社からの指示で、会社のよって立つMission, Vision, Valueをしつこいくらい繰り返し教育される。その結果、行動規範に反する行為に対する処罰は、大変重い。「不正行為を行ったのは営業成績を上げるためだったのだから、大目に見てほしい」という言い訳は、全く通用しない(「ゼロ・トレランス」)。役職の大変高い人たち(日本法人のみならず、本社の要職に就いている人でも)が、突然クビになったことも、何度もあった。
徹底した成果主義もそうだろう。残業するようでは効率が悪く、マイナス評価となる。上下関係は固定されておらず、業績や態度の良くない社員の降格も、日常茶飯事である。
また、自由の保障もある。成果を出していさえすれば、働き方はかなり自由にさせてもらえる。同僚のプライバシーには関心がなく、義務的な飲み会なども、殆どない。誰でも新しいアイデアを出すことが、常に奨励され、予算がついたりする。経済合理性を実現するための仕組みが普通にちりばめられていると思った。
ただ、外資系企業といっても、多くの日本法人においては、日本人社員が大多数を占める。そのためか、日本人的なマインドや雰囲気に支配されている会議も、決して少なくはない。
日本人のビジネスパーソンや政治家は、一度は、外資系企業など、日本以外の国の組織で働いてみれば良いように思う。そうすると、百聞は一見に如かずで、経済合理性に従った意思決定が自然と身につくのではないか。
日本の政治家にしてもそうだ。たとえば、外資系企業の日本法人の社長や役員経験者などがもっと国政に携われば、少しは変わるのではないか。外資系企業に勤める日本人で、能力があり尊敬するリーダーに出会うたびに、この人が国会議員になってくれたらなあ、と思うことも多かった。しかし、彼らの多くは政治には興味がなさそうだ。永田町のムラ社会で消耗し、SNSなどで批判に晒されるのは割りに合わない、と考えているのかもしれない。
ひとりの日本人として、日本人のマインドを批判する本書を読み通すのはつらいものがあったが、その内容には腹落ちした。日本人のマインドが少しずつでも変わっていけば、日本社会が寛容になり、新技術や新しいアイデアが積極的に取り入れられるようになり、消費も活発になり、経済的にも発展を取り戻せるかもしれない。本書の最後のまとめでは、著者も、日本人の力を信じている、と結んでいる。
本書の日本人のマインド批判には、大いに嫌悪感を感じる読者もいるだろうし、そうした人から批判の的になるかもしれない。それも恐れず本書を出版された著者に、敬意を表したい。
ご参考になれば幸いです!
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