【お城】黒井城(兵庫県丹波市)

画像1 赤松氏による築城後、16世紀前半に荻野氏の城となったが、1554(天文23)年、荻野(赤井)直正が養父を暗殺して城主となった。天正3(1575)年からの明智光秀の丹波平定では、直正は波多野秀治と謀り明智勢を苦しめた。しかし天正7(1579)年に落城、光秀の重臣である斉藤利三(春日局の父)が城主となった。標高356m の猪ノ口山を中心に、三方に伸びる尾根部に縄張を施した中世の山城。別名保月城。続日本100名城。https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/castle/kuroi/
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画像3 興禅寺。黒井城の下館跡。天正7(1579)年、斉藤利三が城主となり、娘のお福(春日局:徳川家光の乳母)がここで生まれ、3歳まで育った。
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画像27 赤井直正推し。ちなみに、プロボクサーの赤井秀和さんは、直正の弟の子孫だということだ。
画像28 明智光秀推しでもある。
画像29 トイレの入り口まで、このとおり。
画像30 三方に伸びる山稜上に城砦群を配し、全山を要塞化した縄張り。

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サザヱ
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