双六のようにひとマスだけ進む日2025/1/26
土曜日の昨日は、廃人のような生活をしてしまった。『廃人のような生活』とは、病気でもないのに、一歩も外に出なくて、ほとんど布団の上で動画を見て過ごす日のことを指す。ゴミ捨てにマンションの1階に行くことすらなく、一度も玄関の鍵を触らなかった。わたしの部屋の空気と外気が混じり合わない1日。
洗濯機は、いつも自分の仕事を全うしていて偉いなあ。寒い廊下に置かれても、ひとつも文句を言わないし、いつも同じクオリティで洗濯してくれる。エアコンもそう。毎日の長時間労働を、文句ひとつ言わずに淡々とこなしている。最近は、夏が長いので、冷房の稼働時間が延び、1年の勤務時間自体が長くなっているというのに。
それに比べてわたしは、承認欲求が満たされないだけで『うきーっ』となってしまっていて恥ずかしい。どんなに『うきーっ』となっても顔に出さないことがわたしなりの美学だったのに。金曜日に上司と話していたとき、『うきーっ』が顔に出てしまっていたような気がして、もやもやしながら帰宅した。そのもやもやを消化するのにほとんど2日間かかったのも含めて恥ずかしい。
しかし30代になって数年経ち、20代の頃と違って、反省しすぎる体力もない。仕方がないと次に進むしかないのだ。双六のように。『仕事で抑えられなかった怒りを土日に解消する。ひとマス進む』『大事なひとと自分の価値観が合わなくてへこむ。ひとマス進む』『仕事ができる程度の軽い風邪をひいた。ひとマス進む』ひとマス進むのには大してエネルギーは要らなくて、時間が勝手に経っていくのでそれに従えばよし。
もらった白菜をじゃんじゃん切る。蓋が閉まらないほど鍋に入れて火にかける。ぐつぐつ言い始めると、蓋がちゃんとしまるようになる。寒い廊下で仁王立ちをして、透明の蓋の内側で白菜の嵩が徐々に減っていくのを眺めている。時間が経てばたしかに変化するという、当たり前を目視で確認する。