受験"戦争"
戦争のニュースが悲しすぎて、とても心に負担を感じて一時期見ることができなかった。
現実から目を逸らすことは良くないと思うけれど。
それでも…実際問題、抑うつ的になってしまって。。
コロナだけでも心が疲弊していて、そこに追い討ちを掛けるように戦争なんて、心が耐えきれない気分だったんです。
息子は時事問題がとても好きで、毎朝欠かさずにNHKニュースを見ている。
幼稚園の頃からニュースが好きなんです。
そんな息子には申し訳ないのだけど、一時期は一切ニュースを付けることが出来なかった。
戦争のニュースをちらりとでも見ると怖くて震えてしまうから。。
ようやく最近は受け入れられるようになって、少しずつニュースも見られるようになり。
弱い母でごめんね、と思う。
息子に生々しい戦争の話を見せて良いのか?迷いもあり。
人間の暴力性。
ハンナ・アーレントが言うところの"凡庸な悪"は、私の中にもあるのだから、人間の愚かさを知るべきだけど。
まだその現実を突きつけたくない親心もあって。。
その話をママ友にしたところ…
「こういう戦争なんかの大きな時事問題は入試に出る可能性があるから見せているよ!」
とのこと。。
私はそれを聞いてとてもショックを受けてしまいました。
また心の具合が悪くなってしまった。
人の死すらも受験のネタなのか?
戦争のこの凄惨さも受験に有利にするための情報に貶められてしまうのか?
と。
人の悲しみを踏み台にしているようで…。
とても辛くなり。
そこまでして受験なんて勝たなくて良いよ。
そんなことをしないと人に差をつけられないなら、うちは戦線離脱したい。
いわゆる"良心的兵役拒否"ではないですけれど。
息子には戦いを放棄させたい。そう思った。
これを聞いて悲しく思うのは私だけなんだろうか。
形を変えた戦争がそこここにあって。。
出し抜いて、蹴落として…。
そんなことばかり。
私はクリスチャンだから…
息子にも良心と愛とを行動の原理としてほしいと望んでしまう。
でも息子は息子の人生があって、彼はクリスチャンではないから、それを強要も強制もできない。
いっそ、教会に通わせようかとも思うけれど。
それも虚しいことな気もしますし。
個人がどうありたいかは、限りなく自由であるべきだし、神さまもそのような自由を与えてくださっているのだから。。
でも、ふと、息子の将来に有利かな?という観点で教会に行かせたいという思いが頭をよぎる時もあり。
先に話したママ友と私も同じなのかもしれないと思ったりもする。
どの親御さんも、我が子に少しでも有利になれば、という一念で色々と頑張っているのだろうし。
難しいですね。。
皆が共により良くなっていくことは無理なんだろうか?
優劣や競争ではなくて。
互いに欠点を補い合って、支え合う社会…。
そういう理想は実現しないのかなあ。
誰しもが平和を願っていて。
誰だって幸せになりたいのに。
どうして戦争は無くならないんだろう。
どうして争いや競争は絶えないんだろう。
誰も奪われることを望んでいないのに。
世界は奪い合い。
幸福の量は限られているわけではないはずで。
どうして私たちは幸せを分かち合って、増やしていくことができないのかな?
遠い異国の悲しいニュースには涙するのに。
隣人の悲しみを顧みる人はほとんどいない。
遠い不幸には胸を痛めることができるのに。
近くの不幸は腫れ物。
私は私にできることから。
身近な人から。
寄り添って愛したい。
色々な人がいて。
その人にもその人なりの考えがあって。
誰が正しいとか間違っているとかは無いから。
でもただ私は悲しいことが苦手。
戦争のニュースが流れない日がいつか来ると良いな、と思う。