見出し画像

アンチさん、お会いしませんか?【エッセイ】

フォロワー5000人になりました。
5000人、ひとりひとりには血の通った
具体的なひとつひとつの人生があることを、
より一層噛み締めながら、山門文治は今後も活動を続けていきます。
ありがとうございます。

さて、フォロワー5000人にもなると流石に、アンチと呼ばれる人がチラホラ生まれてきます。「山門文治」の名前で検索すれば、否定的な意見があったり、攻撃的なコメントを送ってきたり、あるいは、別のSNSで伏せ字にしながら投稿したり、さまざまです。

そういうコメントのひとつを目にして、
すごく悔しい思いをしたことがあります。
本気でムカついて、居心地が悪かったので、本格的に弁護士さんに相談をして、行動(開示請求の手続き)に移すことも考えました。

ちなみに、この方法は1件あたり約30万円の示談金を勝ち取れるビジネスとして成立しちゃう可能性があります。誹謗中傷をする人が気の毒になってしまうくらい、合法的に追い込まれてしまいます。

さて、ぼくのことを嫌いな方に提案があります。
ぼくは、住んでる住所も顔も公開しています。東京都の端っこの東大和市の多摩湖という美しい湖に住んでいます。
だからさ、
アンチさん、お会いしませんか?
※あなたを写真に撮ったりして晒したりしません。
もしも、痛いことするならマッハで警察呼ぶし、
そうじゃなくて話し合いができることに限られるが。

ぼくは、これからさらにnoteで、面白いことを仕掛けていきます。もっと面白いことになる勝算もあるし、それを実現できる仲間もいます。そして、ぼくの作品を楽しみにしてくれる人たちがいます。

ぼくは、じぶんの人生を作品にしていくタイプの作家を目指しています。
フィクションという形を取るかもしれないし、ノンフィクションかもしれないし、
でも、なるべく読み解いたらぼくという人物が浮かび上がるような、そういう物語設計を考えています。

だから、ぼく個人とガチでかかわる人間ドラマをたくさん生み出していかなければならないと思います。
ぼくのこと好きな人とだけ会っていたら、ぼくの好きな人たちだけを楽しませる閉鎖的な作品になってしまいます。
ぼくの嫌いな人と会うことで、ぼくの嫌いな人まで楽しませられるようになり、アーティストとして一次元先へ行けるんじゃないかと思うわけです。

じつは、ぼくも似たような場所にいました。
ネットで誹謗中傷を繰り返すような人間でした。
2010年代のネットの世界にはその昔、口喧嘩をショーにしてしまうような文化がありました。
今でも、規制の行き届いていないところでは、そういうショーが繰り広げられているでしょう。
こういうショーで、目立つと人気者になったりします。その承認ほしさにたくさん誹謗中傷を繰り返しました。おかげで、一生分の「死ね」って言葉を浴びましたし、同時に一生分の「尊敬します」って称賛も浴びました。これがニートのぼくには、たまらなくここちがよかったわけです。だから、繰り返しました。
その先にあったのは、自己批判でした。
悪口というのは、じぶんの中の言われたらイヤな部分を見つける作業です。つまり、じぶんにもある痛覚だから、相手も傷つくだろうという想定が働くのです。
だから、ひとを傷つけているかのように見えて自傷行為を繰り返してるに過ぎないというかそういう風に自己分析しています。

ぼくを攻撃してくる人の投稿をいくつか見ました。
多くの場合は、すごく辛そうな投稿やつぶやきが併記されていました。「この人も苦しんでるんだな」と思いました。

自己批判の精神を他人にも向けるから、じぶんが疲弊しちゃうんだろうなぁ。ぼくにも心当たりがあります。

だから、アンチの方々の気持ちは痛いほどわかるつもりです。
むしろ、OBです。


エラソーにOB風吹かせたりしないので、
アンチさん、お会いませんか?


今日の一曲はこちらです。
コメントは、
この曲の歌詞の感想お待ちしてま〜す🙂


























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?