ぼくの頭の中で鳴り止まぬ『木綿のハンカチーフ』【エッセイ】
───東京ってさ、残酷な場所だよな。ひとを変えちまうんだからさ。
『木綿のハンカチーフ』という歌がある。
上京した男性と田舎に残る女性のすれ違いをせつない歌詞と歌声で表現した名作だ。
※ぼくはノーベル賞に選ばれるくらいの名作だと思う。
「恋人よ〜」という歌い出しが印象的で、最後まで聞くとそのせつなさにぐうっと胸をしめつけられる。
1975年の高度経済成長期真っ只中の日本でヒットした曲であり、その当時の東京に恋人を奪われた女性のせつなさが歌詞に込められている。
1993年うまれのぼくにとって、この曲はもちろん世代じゃない。
ぼくがこの曲を知ったのは、たぶん中学生くらいのころで、椎名林檎のカバーによる『木綿のハンカチーフ』がきっかけだ。
ただ当時は、それがカバーであることも太田裕美なんて名前も知らずに、なんとなキレーな曲だなぁって、耳に残っていただけだった。
東京うまれ東京育ちのぼくにとって、この歌詞がいうところの「はなやいだ街」に住んでいるわけだし、感情移入することはなかった。
だが、名曲というものは成長とともに噛み締められるようになるものなのだ。だから、名曲。
幼馴染のリクちゃんが大学に入学すると、都内で過ごす時間が増えていった。
対して、ここはぼくらの地元は、東京とはいえやっぱり郊外だった。
「ヤマト、都会から遠すぎるわ」
西武線の端っこの東京郊外に住むぼくらにとって、東京は遠かった。
通学するには苦痛だが、下宿するほどでもない、非モテの神様が思いつく絶妙ないやがらせみたいな距離なのだ。
郊外から自宅通いの大学1年生の口癖は「遠くてしんどいんだよ。23区住みたい」になるのは必然だった。
この頃から、ぼくの脳内には「いいえ〜あなた〜(椎名林檎ver)」がかかり始めるようになった。
リクちゃんはやがて「一番すきな駅は中目黒」とか宣うようになった。
大学一年の暮れ頃には、リクちゃんはすっかり東京の住人になっていた。
この頃を境に、NORTH FACEのマウンテンパーカーとか着こなすようになったし、恵比寿のバーとかでバイトするようになっていった。
リクちゃんはすっかり東京を乗りこなしていた。
ぼくの頭の中では、ぼくの中の太田祐美が作詞を始める。
都会の絵の具で、スプラトゥーンをしているリクちゃんをみていると、ぼくはなんだかうっすらと「東京がキライ」という感情が芽生えてきた。
いや、たぶん正確には「東京がキライということにしよう」という感情だったのかもしれない。
ちなみに、そんなリクちゃんは今、
都内のタワーマンションに住んでいる。
またしても東京を乗りこなしている。
まったく、世渡り上手だよな。
うらやましい。
なにが悔しいってさ、
ぼくは、男友達にそんなこといちいち伝えられないってことである。
逆の立場になってみよう。
じぶんにはじぶんの、
彼には彼の人生がある。
だから、「さみしい」なんて意味わからないし、
そんなこといってる暇があるなら、
「おまえの人生充実させろよ」ってことになるのだ。
次に、「いいえ〜、あなた〜」が流れ始めたのはそれから10年くらい経ってからだと思う。
つまり、最近なのだ。
というのも、ぼくは「東京キライ」になっていたので、関西に拠点を移していた時期がある。だから、その期間は京都にいたわけだから、脳内『木綿のハンカチーフ』が作動することもなく過ごすことができた。
(山門文治京都篇は、いつかまとめて公開予定です。お楽しみに。)
ゼミの後輩で、ミヤジというすごく仲が良い後輩が、最近、大学を卒業して社会人になった。それ自体はめでたいことだ。ぼく自身も就活のアドバイスとか一生懸命したし、見事すごくいいところに就職した(社会的な評価でもあり、彼との相性のよさでもあり)。
そんな彼が言った。この間、高田馬場で会ってくら寿司行った時。
「タクシーアプリだったら、GOがいいっすよ」
数年の年を経て、ぼくの頭のなかにはあの曲がかかり始めた。
「いいえ〜 あなぁた〜(椎名林檎ver.)」
ミヤジは、そんなことをいう不良じゃなかった。
タクシー乗るなんて、火遊びをするような奴じゃなかった。
それが、今やスマホにはGOアプリを入れている。
学生時代、
どちらかというと、バス代けちって歩くような奴だったのだ。
学生時代、京都をチャリを走り回った思い出が走馬灯のように蘇る。
梅の湯がやってなくて、代わりに白山湯に行って、
その帰りになぜか京都駅近くのチファジャに行こうって話になって、四条から八条のチファジャまで下る。それから再び、家へ帰るため一条通までと北上した。
その移動は、ぜんぶチャリだった。
あの真夜中、必死にチャリを漕いだ思い出。
タクシーなんて、高くて乗れないよぉ……とぼくはガクガク震えながら、悟られまいと「ああ、GOね、いいらしいね」なんて平静をよそおいながら、納豆巻を口に運んだ。
あのときの心音は明らかに跳ね上がっていたのが、ばれやしないかとビクビクしていたのだ。
リクちゃんみやじ、もしこれを読んでくれているなら、木枯らしのビル街 身体に気をつけてくれ。
ぼくは、「東京がキライ」になって西へ逃げたわけだ。そして、大学を卒業したら、地方都市の京都にいた仲間はほとんど全員が東京へ就職して、余計に『木綿のハンカチーフ』が流れるようになってしまったのである。あまりにも皮肉な話じゃないか。
そんなぼくは、今実家のある東京に帰ってきている。
東京に住んでるとやっぱり、『木綿のハンカチーフ』がたびたび流れる。
「おう、山門。
もう、そういうんじゃねぇんだわ。
深夜にさんぽとかよ、
そんなことより、俺は金がほしい。
ゆたかな生活を手に入れたいんだ」
社会ではひとは、それを成長というのだろうか。
未熟なぼくは、資本主義に飲み込まれたって思ってしまうけどな。
卑屈な太田裕美がこんな作詞を始めなくて済むには、一体どうすればいいのだろうか。
この鋭利な切れ味のせつなさから、どうしたら逃れられるのだろうか。
あー、寂しいぁ。
東京のぼくはひとりぼっちみたいだ。
ねじれにねじれたぼくの精神が、今日も山手線をぐ〜るぐる。
終電乗ってぐるぐる回って、高田馬場。
さいごに
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山門文治