![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/156220439/rectangle_large_type_2_4422c2f84902eca7be85368c1e7ca108.jpeg?width=1200)
西武新宿線にまつわるとあるアナウンスについて【エッセイ】
ぼくは、都内に出るためには西武線に乗り込むことは欠かせぬエリアに住んでいる。生粋の西武線ユーザーだ。
すこし遠回りして、立川や国分寺まで行って中央線に乗り込むこともあるが、ほとんどは西武線だ。
西武線といえば、池袋線と新宿線が二大動脈が有名だ。
池袋線は池袋から飯能方面(その向こうには秩父)、新宿線は新宿から本川越へと伸びており、都心と埼玉県西部を結ぶ重要な路線である。
その沿線には、創業者堤康次郎の雄大な計画に基づく住宅街がいくつも整理されている。まさに、日本の中流階級の創出にもっとも貢献した企業のひとつであると言えるだろう。
この辺で関西在住の読者が脱落するかもしれないので、西武線を関西の鉄道会社でたとえると、おそらく近鉄線だと思う。
阪急に相当するのは、田園都市や東横線を有する東急電鉄だろうし、
京阪に相当するのは、小田原と江の島を桂馬のように射程距離に据えている小田急線だと思う。
これに関しては、ぼくの主観100%なので、反論があればどしどし歓迎する。
したがって、関東の近鉄線の話かぁくらいの感じで読み進めてもらえればとっつきやすいはずである。
どうでもいい話だが、西武線が黄色い電車な由来は、その昔肥料のために糞尿の輸送を引き受けていたことに由来するなんて噂があるが、その真偽は定かじゃない。
とまぁ、西武線にまつわる話をしだせば、アスペ炸裂。あれこれ溢れ出してきりがないわけだが、ぼくの西武線愛は、以下の記事にも詰め込んでいる。気になる方は参照されたい。
話を戻そう。
ぼくは、かれこれ20余年、西武新宿線に乗っている。
何度も何度も何度も何度も聞いているのに、そのたびに新鮮に違和感を覚えてしまうとあるアナウンスがあるのだ。
「ご乗車ありがとうございました、まもなく、高田馬場、高田馬場に到着いたします、お出口は左側です、JR山手線、地下鉄東西線をご利用のお客様お乗換え下さい、忘れ物なさいませんようご注意ください」
ぼくは、このアナウンスを聞くたびに、「ん?」となって、
ついには、なんだかなぁとやるせない気持ちになりながら、降車するはめになるのだ。
ふりかえって、さっきまで乗ってた西武新宿線をみつめて、首を傾げながらSuicaをピピッとタッチしてゲートを通過する。
そのあとも鬱然たる気分は継続されて、その日一日このアナウンスが脳裏にちらつき、ついにはその日の予定を楽しめないことだってあるほどだ。
ある作家が、憲法の一文が気になって気になって仕方がないので、都知事にまでなったという話があるが、ぼくもこのアナウンスの一文が気になって気になって仕方がないので、西武鉄道グループの就職の募集要項を見たことさえある。
なにをそんなに引っかかることがあるのだと呆れてしまっている読者がおられるかもしれないが、ぼくはいたって本気である。
では、なにがそんなにひっかかるのか。
それは、「ご乗車ありがとうございました」というワードチョイスだ。
「ありがとうございました」というこの過去形である。
くわしく話そう。
「ご乗車ありがとうございました」という言葉は、鷺ノ宮でも上石神井でも使われない。
この過去形を使われるのは、決まって高田馬場と西武新宿に限られているのだ。
終点の西武新宿駅でこのアナウンスが流れるのは自然である。
問題は、高田馬場でこのアナウンスが流れることである。
高田馬場は、西武新宿の手前にある駅だ。
終点じゃない。なのにもかかわらず、高田馬場でこのアナウンスが流れるのだ。
これには理由がある。
実は、西武新宿線は終点の西武新宿駅よりも高田馬場駅のほうが1日あたり倍近くも乗車数が多いのだ。(以下のスクショを参照)
![](https://assets.st-note.com/img/1727680643-3IXAzW2uHmfKpFsNbJ0MknOZ.png?width=1200)
それもそのはず。
西武新宿駅は、JR新宿駅からもすこし離れた場所にあるため(徒歩10分はかかる)、お世辞にも利便性がいいなんていうことはできない。
一方で、高田馬場駅には、東西線と山手線がある。この差は歴然だ。
Yahoo!路線も新宿駅を目的地に選ぶと、高田馬場乗り換えで山手線で新宿までいくことを勧める始末。西武新宿駅から新宿まで歩くというルートは2番目だ。
多くの乗車客は、西武新宿駅まで行かずにその一個手前の高田馬場駅で降りるという選択をする。
実際に乗っていただくとわかるが、ぎゅうぎゅうに乗車客で詰まった車両も高田馬場に到着すると、ドバっと吐き出されて、一気にガラガラになる。さっきまでの満員が嘘みたいに。
だからこそ、西武線ではこのアナウンスが流れるという納得のロジックだ。「ありがとうございました」という、まるで終点のようなアナウンスが流れるというわけである。
しかしぼくは、これは敗北だと考える。
だってそうだろう。西武新宿線に乗っているのだから、西武新宿駅まで行ってほしい。ぼくのエッセイを最後まで読まずに、ここでブラウザバックしてしまうようなショッキングだ。
もしぼくが車掌だったら、高田馬場で「ありがとうございました」なんて言わない。
「みんな、みんな……みんな!ちょっと聞いてくれ。そう、一人ひとり、きみに話しかけている。聞いてほしい話がある。たしかに高田馬場のが便利かもしれない。わかるよ。わかる。
でも、でもさぁ。ちょっと待ってくれよ。ぼくらの電車は西武新宿線じゃないのか?その名前を冠した駅には目もくべず、高田馬場のことを終点みたいに降りてしまう。これじゃ、西武新宿駅がまるで象徴みたいじゃないか。だから、ぼくは『ありがとうございました』とは決して言わない。なぜなら、ぼくはきみに西武新宿駅で降りてほしいのだから」
というアナウンスを流してやりたい。
資本主義というのは、たしかによくできたメカニズムである。それは認めざるを得ないのかもしれない。
だが、資本主義の世界はいつだって勝利が通貨になっている。
そこには、美もなければ情も道徳はない。愛だってね。すべては、合理性。すべては勝利の名のもとに収斂されていく。
そんな世界の息苦しさをまざまざと見せつけられているような、気分になってしまう。
まるで、ブータン人の純真と国土の自然が資本主義の名のもとに、破壊のかぎりを尽くされていくかのごとく。故郷の蹂躙を見せつけられるかのごとく。
だから、ぼくは高田馬場のアナウンスを聞くと気が滅入るのである。
【こちらもおすすめ】
このエッセイがおもしろかったら、下のエッセイも覗いてみてください^^
ただいま、エッセイ感謝の正拳突きにチャレンジ中です。
毎日投稿は約束できませんが、毎日文章に向き合っています。
山門文治のことばの百式観音完成まで楽しんでいただければと思います。