おじさんと恋バナは対義語である。【エッセイ】
今回のテーマはずばり理想の恋である。
色恋ネタは、意図的に書くのを避けてきた。
恥ずかしいからだ。
性癖を告白するみたいで、とても気が引けるし、おじさんの乙女ちっくな部分なんか読みたいわけがないと思って封印してきた。
だが、エッセイを書くって行為はきっとじぶんの中のタブーを氷解することで、そんな熱気に浮かされた吐露も書けなきゃならんと思うわけだ。
というわけで、今後は山門文治の恋のはなしを徐々に解禁していく。
手始めに、どんな女性が理想的か。
じぶんの中のアニマにスポットを当てようという目論見だ。
まず、外見というはなしになれば、Every Little Thingの持田香織さんや女優の夏帆さんが理想のタイプである。ググッとド真ん中にジャストフィットする顔だ。やわらかい雰囲気の女性に惹かれてしまう。
だが、31歳は、さすがに外見の話ばかりもしちゃいられん。
肝心な内面の話に移行する。
突然だけど、あなたはパスピエというアーティストをご存知だろうか。
ぼくは、このアーティストが19歳ころから好きでよく聞いていた。
なかでも好きなのは、『演出家出演』のアルバムに収録されてる『S.S』『名前の無い鳥』。『OTONRIさん』に収録されてる『あかつき』。バナナマンライブの主題歌を飾った『Love is Gold』。
どれも最高だ。
まず、なんといってもボーカルの大胡田なつきさんの声がいい。どこか椎名林檎感を思わせる高音と優しい地声の振幅域に、ついつい聴き入ってしまう。あの声に恋しない男がこの世にいるのだろうか。たぶん、日常のなにげないシーンさえも彼女が歌い上げれば、幻想的な意味が付与されてしまう。でいながら、都会にも田舎にも田園にも山にも海にも、どんなシチュエーションもちゃっかりフィットしてしまう、そんな声なのだ。
でいながら、歌詞が文学的だ。グサっとこころに突き刺さる言葉が彼女の美声で仕上がるので、耳も心臓ももう骨抜きである。
その一部をいくつか紹介したい。
ひとつひとつの言葉が丁寧で、きらびやかなのだ。
でありながら、どこか情緒的で文学的だ。
この感性が、ぼくの寂れたこころにサッと溶け込み、
じわじわ効いてくるのだ。まるで漢方薬のような効用。
こんな言葉が、おのおしゃれなリズムに詰め込まれているのだ。
都会的で芸術的で、だからこそこころが揺さぶられる。シニフィアンなのに、新しい意味が宿るのだ。
東京藝術大学を中心に結成されたバンドというところが、このバンドの異彩さを際立たせている。
たとえるなら、カフカや安部公房のようなアーティストである。
似たところに相対性理論というバンドやアーヴァンギャルドというバンドもあるが、やっぱりパスピエなんだよなぁとなってしまう引力があるのだ。
さて、閑話休題。恋の話に戻ろう。
すまねぇ、読者。
おじさんの恋の話聞かせてやるって呼び出されて、急に知らないアーティストの話をされて、こんなの訴えられたら負けるんじゃねぇかってレベルの逸脱っぷりだ。
その訴訟、ちょっと待っていただきたい。
ちゃんとこの話には続きがある。
大胡田なつきさんのある曲の歌詞がたまらなく、そう、たまらなく可愛いのだ。
その曲は『最終電車』である。
ぼくは、この曲を何度再生したことだろうか。
実際に、聴いてもらうのが早いと思うが、まぁまずは読んでほしい。
※ここからは根拠なしの妄想が加速します。ご注意ください。
ぼくは、この曲を少なくとも1000回は聴いたと思う。
はっきり言って、キーボードのいち音まで脳内で再現されるほど焼き付いている。
まず、最初から可愛くないか?
特にここ。
「交差点の人の波に溺れそうだから、手を繋いでおいてよ」
はじまりからわかる。
この子は、田舎出身だ。(実際に作詞の大胡田なつきさんは、静岡の御殿場出身らしい。)
たしかに、御殿場の空気は東京に比べたらずっと空気が澄んでいて、東京とは比べものにならない。
そんな女の子が、である。
「最終電車に飛び乗るキミの背中がキライよ」だ。
可愛すぎないだろうか。
ちなみに、ここで言われるキライは当然、好きを意味するキライである。
田舎出身の大学生の女の子が、東京に上京し、ちょっといいなって思う人と渋谷で待ち合わせ。居心地はめちゃめちゃよくて、ただただ楽しい。ああ、わたしこの人のこと好きなのかもなぁなって、気になるから好きかもへの移行期間を自覚する。でも、過ごしていると、どんどん時間が過ぎていく。楽しい時間はあっという間。
その彼は、「ああ、もう終電の時間だね」なんて言ってくる。
そうだね。なんて、ちょっと拗ねながらこの子は返す。
「駅まで行こうか」なんて言いながら彼は、足早に歩き出す。最終電車の時間が近づいて、渋谷の交差点の男女の顔つきはうっとりし始める。嘘と真が入り交じる。その中には本当の恋もあれば、偽も恋だってある。そんなムードに酔っ払いの大行進。スクランブル交差点の人混みを歩くのを得意じゃないこの子があまりに下手だったから、彼は、この子の手をつなぐ。「危ないよ」なんて言いながら。
その背中を見ながら、もっといっしょにいたいが、言い出せない、やきもきする。
だから、この子はちょっと拗ねながら気を引きたくて、彼の背中に対してキライなんて思ったりするのだ。
スクランブル交差点の店は、広告は、真夜中なのにネオンが照りつける。
そんな都会の夜景は、この子の田舎にはない。
いちいちそれらを見てしまうから、首が変な角度に曲がってしまう。そんな首の角度を優しく、彼は笑ってくれる。
しっかりつながれた手と手。汗かいてしまわないだろうか。湿っぽくないだろうか。上がってる心拍数、彼にバレていないだろうか。顔紅くなってないだろうか。彼はそれがいやじゃないだろうか。そんなことが頭にちらついて、ほかのことなんかなんも考えられやしない。待ちゆく人の見分けなんかつくわけない。興味範囲は片手ぶんに限定されているのだ。
山手線のホームに着いてしまう。彼は新宿方面でこの子は品川方面。家は反対方向。彼の新宿行きのほうが先に着く。
「じゃあ、今日はこれで」なんて彼は締めの言葉を唱えている。彼だってほんとは、まだまだ一緒にいたいのだが、この状況にそれを打開するだけの勇気を持ち合わせていないのだ。
もしここで、帰らないでなんて言ってしまったら、この後の展開はなんとなく想像つく。
女友達の誰かが言ってた。「そういうのは、自分からしたいなんて言ったらだめだよ!ちゃんと付き合おうってなってから、しないとやり捨てとかされるんだよ。急いては事をし損じるだよ」って。
そんなことは頭でわかっている。でもでも、今この瞬間が、終わってしまうことが、胸がきりきりするほど切ないのだ。
平然と言葉はすり抜けていく。「うん、じゃあまたね」頭で思ってることと真逆の言葉がするすると抜けていく。「おやすみ。気を付けて帰ってね」ちがうちがう。わたしは今、上手く笑顔つくれているのだろうか。ああ、電車がもう来てしまった。彼は背中を向けて、電車に乗ろうとしている。
「ちょっと待ってて」
言ってしまった。言葉に出してしまった。彼が始めたさようならの儀式を台無しにしてしまう一言を。頭の中で何度もこだましているけど、口には出さなかった言葉を。
彼は不思議そうな顔で、この子をみつめる。
「なあに?」
いやその。なにっていうか。なんでしょう。ぎこちない笑顔。ちがうの。言葉が今ここまででかかってるの。ああもう言ってしまいたい 「今夜一緒にいたいの」と。
みたいな、ストーリーが頭のなかを駆け巡っていく。
こういう体験を18とか、19歳のときにしたかったなぁ。
これが、31歳のおじさんの理想の恋である。
こんな恋をしたかったなぁ。
なにがいいたいかと言うと、
パスピエの『最終電車』を聴いてほしい。
さいごに
ここまで読んでくれてありがとうございます。
もし、この話を読んで面白いと思ってくれた人に
一個だけ頼みがあります。
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ぼくは、これからこういう活動(文章を書く仕事)で本気で食っていきたいと考えています。
だから、今後のためにもあなたがどんな人物で、どんな感想を抱くのかということは知っておきたい。
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