見出し画像

東京にまつわる或る物語5

05:首都高のうねりに飲まれて

立川

1

 立川を出発してから首都高にはいると渦を巻くようだ。ブレーキを加えて、円に沿う。

 どれほど地下を潜っているのか。トンネルなど、日の当たらない地上にいるのか。それがまったくわからなくなる。

 諏訪はまるで、大きな抗えないうねりに飲み込まれていくような錯覚を抱く。

 遠心力という自然界ではなかなか体感できないGが腹部にかかる。それにあわせて、後部席の社長の大和が目を覚ます。

 「おう、諏訪。今どこ?」

 「三宅坂のあたり。あと10分くらいかな」
 諏訪はミラー越しに、大和を一瞥し、静かに答える。

 車内の音楽はAIが統計に基づいた「あなたの好み」の曲をシャッフルし続けている。『飛行機』を流していたので、AIのきまぐれによって般若とKOHHのコラボ曲である『家族(feat.KOHH)』が流れていた。

 音楽好きの大和は、ゲレンデを買った時に音響にだけは徹底的にこだわって選んだので、心地よい重低音が心臓に響くようだった。

 諏訪は、運転しながら、ミラーで社長を確認して、助手席で眠るアズサを首都高の地下のオレンジ色のランプが照らす。このように、ふたりを交互に見てから、じぶんの仕事を続けるということが癖になってしまっている。どうしてもバランスを取ってしまうのだ。

 「なぁ、諏訪」後部座席から大和が呼びかける。

 「どうした、社長」

 「あのでけぇカエルって正体なんだろうな」

 「知らねェよ。異常気象だし、あんなのも出てくるんだろ」諏訪はぶっきらぼうに答える。首都高の運転は集中したいからできれば眠っていてほしいと思っていた。

 「多摩川沿いのこの前のことと関係あんのかな?」

 大和は、窓の外を眺めている。首都高という構造物の中を、ぐるぐると回りながら東京の中へ吸い込まれていくように感じる。

 「ふっ……ねェよ、非科学的だな。」

 と諏訪は返したが、そう答えるのにすこし躊躇いがあったことを自覚した。

 この前のことはなにか。今から遡ること3週間前。

2

 多摩川の河川敷には、大量のガマガエルが集まっている。その中でもおそろしいほど人気の少ない場所がある。立ち寄るとすれば、ホームレスかヤンキーか、それほど薄気味悪い雰囲気放つあの場所で。

 月に一度。真夜中、立川が寝静まった丑三つ時にゲレンデのエンジンをかける。諏訪と社長は網とクーラーボックスをもち、多摩川の河川敷へ向かう。その時も、諏訪はこの車を運転している。

 しんと静まり返った多摩川。ギリギリに車をつけて停車する。降りたらふたりで黙って歩く。

 川沿いに来るとゲロゲロと鳴き声が聞こえる。

 背の高い葦の群生の間を擦り抜けていくと、さっきよりもカエルの鳴き声がはっきりと耳に伝わる。いつもの決まり切ったルーティンながら、大和も諏訪はこの時間があまり好きではなかった。

 スマホのライトを照らして、あたりを見渡すと大きなガマガエルが数十匹いるのがわかる。

 大和は、見つけるなり、網を素早く動かしカエルを捕獲する。闇夜の目もそうだが、夜中にカエルをこれほど上手に捕獲できる人はそうそういないだろう。

 諏訪もそれに続いて、捕獲する。手慣れた手つき。何度も何度もここで乱獲している。捕らえて、傾けて、出口絞って、クーラーボックスに落とす。この繰り返し。

 クーラーボックスが満タンになるとふたりは満足して変える。ずしりと重みがあるクーラーボックスの中には、数十匹のガマガエルが入っている。肩掛けを通して、クーラーボックスの中の命の運動が伝わってくる。

 クーラーボックスをもって、グラウンドへ移動する。

 グラウンドの近くで、クーラーボックスをひっくり返す。ぼたぼた落っこちるカエル。蠢いている。四方へ散らばろうとする。

 クーラーボックスから吐き出された数十匹のガマガエルが、闇夜のグラウンドを這い回る。どこかで車のクラクションが甲高く響いたが、ここまでは届かない。深夜の街灯が薄く照らすだけの空間で、いつもの作業が始まる。

 ガマガエルの両肩あたりにある大きな腺(パロトイド腺)を軽く圧迫すると、白濁色の分泌液がにじみ出る。この分泌液を精製することで、ブフォトキシンのみを抽出することができる。どういうわけかこの作業は、カエルを実際に手をかけて殺したほうがはるかに良質なブフォトキシンができあがる。

 ”魂が宿ってるからフロイトはぶっ飛べる。ブリブリになっちゃうんだよ”。

 いつか社長は真剣な顔してそう云っていた。だから、殺すのだ。カエルに手をかけて殺した方が良質なブフォトキシンが生成される理由の方は、さっぱりわからなかった。だが、体感してみてその違いは本当に明らかだった。だから、根拠はなくとも大和が言う「魂が宿っている」という言葉にはどういうわけか説得力があった。

 大和は、四方八方に散らばっていくガマガエルをおいかける。そして仕留める。しかし、逃げるカエルもいる。逃げるカエルは生き残るべきカエルだと考えているのだ。賢いカエル、運のいいカエルは背の高い葦の群生の中へ逃げたものは、生き残る。どうしてこんなことをするのか、以前諏訪が訊いたとき、大和は「これが俺等が生きてる世界の本質だろ」と答えた。

 こうした狂気的な遊びを狩りと呼び、大和は楽しんでいる様子だったが、諏訪はどうしても狩りが好きになはなれないでいたのだ。

 大和は狂ったように楽しんで、はしゃぎながらバッドを地面に叩きつけてカエルを絶命させる。バッドを振り回し、その精度は日に日に向上している。地面を這う両生類を捕らえて命を奪う。

 ガマガエルの死骸は、一寸前まで命があった名残りで四肢がピクピクと動いていた。だが、絶命していることは、明らかな潰れ方であった。

 諏訪は呆然とその光景を見ていたが、大和が諏訪に怒鳴るので、諏訪も慌ててバッドをふるってカエルを殺していく。

 諏訪も子どもの頃、残酷に虫を殺したことがある。アリの巣に殺虫剤を散布したり、煙で燻したり、バッタの脚を千切ったり、残酷なことした。だが、それは大人になることにはすっかり卒業しているものだ。

 大人になってから、虫よりもより生々しいカエルを殺すことになるとは、だがこのカエルたちを殺すことが、会社の利益となり、諏訪の財布が潤うことも思い出す。そこに、殺さない理由はなかった。

 だが、諏訪はこの狩りの時間があまり好きではなかった。それは論理的では割り切れないやりきれなさのようなものだった。

 大和の声がグラウンドに響く。

「てめぇも悪人を引き受けろ、諏訪ァ」本気だった。大和は、リスクを負わない人間が心底嫌いだった。

 諏訪はこくりと頷き、バッドを地面に叩きつける。ゴッという鈍い音がすると鈍い感触。やったらしい。鼻に腐臭がツンと刺激する。血の臭いだった。諏訪は呼吸を止めたが、やがて苦しくなって腐臭を受け入れた。馴れることを考える。

 夢中になって諏訪がバッドを振り下ろしていると、大和が突然「おい、諏訪、やめろ」と声を張り上げた。諏訪は思わず動きを止める。ゴッという鈍い音が闇夜に消えていく。

 ほとんど街灯の届かないグラウンドに、見慣れない白い服の人影がぽつんと佇んでいた。どこから現れたのか、いつの間にかこちらへゆっくりと歩み寄ってくる。

 背丈は小学生くらいだろうか──そう諏訪は思う。夜目に映るシルエットと、かすかに感じるあどけない雰囲気から、てっきり子どもかと直感したのだ。だけど不気味なくらい静かで、まるで怨霊めいた感じもする。「なんだよ、こんな時間に……」と諏訪は口の中で呟く。

 一方、大和は目を凝らしてそのシルエットを探るなり、低い声で「おばあさん……?」と漏らした。どうやら大和の目には、よぼよぼとした老人の姿に見えているらしい。

 「……おはようっす!こんなところで何してるんですか?」 

 大和は極端に調子を変え、まるで敬意を払うような口調で呼びかける。諏訪からすると、子どものようにしか見えない人間に向かって、なぜ「おばあさん」なんて言うのか理解できない。混乱しながらも、諏訪はバッドを後ろに隠すように構える。

 人影はゆるゆるとした足取りでさらに数歩近づき、街灯の弱々しい明かりの下へと入った。その瞬間、諏訪の目には、12歳くらいの少年の顔立ちがぼんやりと浮かんだ気がした。なのに声はまるで枯れた古木を擦るようで、くぐもった老人のそれにしか聴こえない。 

 「見タヨ……カエル、殺シテルノ。サッキ撮影シトイタカラ。フフフフフ」
ヒステリックとも、とぼけた笑い声ともつかない笑い方をする。聞いているだけで薄気味悪さが背筋を這いまわる。
諏訪は思わず目を細め、声の主をじっと見つめる。間違いなく子どもの輪郭に思えるが、微妙に腰が曲がっているようにも見える。陰影が崩れて、よく分からない姿を形づくっているのだ。
大和はというと、相手を老人として扱うかのように、あくまで穏やかな口調を崩さない。

 「撮影って……写真か動画か何かですか? いやぁ、深夜にこんな場所で驚きましたよ。足元、危なくないですか?」

 その様子がまたおかしなほど礼儀正しいので、諏訪は余計に戸惑う。
(どう見ても相手は子どもなのに──いや、本当に子どもか?)

 相手は薄ら笑いを浮かべたような気配をみせると、スマホをちらつかせる仕草をした。

 諏訪は、「これはまずい……」という本能的な恐怖を感じ取った。自分たちの狩りを撮影されたかもしれない。現行犯でどうこうという次元を超えている。そもそも相手は何者だ? 老婆なのか子どもなのか。心臓が一気に高鳴る。

 大和も困惑したように黙り込む。いつもの強気なノリが少し影を潜めているのが分かる。

 しばらく沈黙が続いたあと、人影はクツクツと笑って、小さく首をかしげた。そして、何か満足したらしく、踵を返すと、すぅっと夜の闇へ溶け込んでいく。深夜3時過ぎ、少年にはあまりにも不釣り合いだし、老人にしては足取りが軽すぎる。どちらとも判断できないまま、ふたりは動けなくなる。
遠ざかるその背中をみると奇妙なことに、その背中には中学入試で有名な塾の青いリュックのNというロゴが月明かりにきらりと照らされた。

 見送ったあと、ようやく大和が口を開く。

 「……今の、絶対ばあさんだよな?」

 「は? どう見てもガキだろ……」

 両者は思いもよらぬ食い違いにふたりは言葉を失う。さっきまでカエルを殺していた狂騒が、一瞬にして綺麗にかき消えたような、そんな奇妙な静寂がグラウンドを包んでいた。

 その日以来、このことはお互いに口には出さなかった。

 3週間が経ったけど、あれからなんともない。

 SNSにキーワードを打ち込んで検索してみたが、それらしい事件はヒットしなかったし、掲示板など含めて、できるだけ細かく念入りに探してみたけど、それらしい投稿は見当たらなかった。

 あいつはなんのために、あんなことを言ったのだろうか。あいつは何者だったのだろうか。

 大和は、ポケットからペンタイプのヴェポライザーを取り出す。

 「フロイト」の中に入っているブフォトキシンは、隠し味のように成分だ、CBDにテルペンを加えて微量のブフォトキシンを混ぜて調合すると、グッドトリップが保証される。

 後部席の大和をみると、ヴェポライザーから「フロイト」を吸引している。ヴェポライザーが赤く点滅を繰り返して、吸い口から一気に体内へ。
咽る。

 深い深呼吸とともに、体内に「フロイト」が入っていく。白い煙が口から吐き出される。

 「諏訪、おまえも吸うか?」

 「いい。車から降りたらくれ」

 大和は、しばらく後部席の弾力性のある座席の質感に背中を預け、恍惚とした表情を浮かべる。

 口の締まりはなくなり、とめどなく言葉を吐き出す。大和は「フロイト」を吸うといつも饒舌になるのだ。この人は意外とこういうときにビジネスチャンスにつながることを言うので、大和の言葉にはなるべく耳を傾けるようにしている。それは諏訪という男が、大和が薬物を接種したとき、饒舌になってごきげんになって、ポンポン面白いアイデアを口にする。それを聞いて、諏訪が形にする。この連携が、このふたりの関係性であり、そうした相互補完とも相互依存とも言い切れぬつながりを継続しているのだ。

 そして、もうひとつ。大和が「フロイト」を吸うと発言がいつもよりも断定的になる。この時の大和には、何者かが降霊したかの如きクリエイティブになって、前向きになる。

 大和が「フロイト」を吸ってから、キャッチしてからことばを発する。それは一種の降霊術のようだった。

 「なぁ、諏訪。あのばあさん……」と云うと諏訪は思わず会話を挟む。

 「おれにはどうしても少年に見えたけどな」

 「声を聞いて、ああやっぱり、ばあさんだって確信したけどな」

 「おれも声聞いて子どもの声だって確信したよ」

 「青いNのリュックしょってんのは小学生だろ」

 「いや、孫とか息子の中学のジャージ着るばあさんいるだろ。そんな感じじゃねぇのか」

 「平行線だな。だがそれをこの場ではっきりさせる意味もない。それで?あの人物がとうしたって?」諏訪は、ミラー越しに大和の表情をみながら訊く。

 すこしの沈黙のあと、大和は口を開いた。

 「お前は非科学的だって否定するけど、テレビに映った巨大カエルはあきらかに科学を逸脱してるだろ。科学で証明されたことだって、すべて一時的な仮説に過ぎないと言うしな。だったらよ。俺たちがあの時会った、あの人間も、カエルを殺す俺達の前に現れたカエルの精霊なのかもって、ふと頭によぎったんだ」

 「ああ、そういう可能性は否定できないかもしれない。科学はすでに脱輪しているわけだしな」

 <科学というのは脆弱でね──科学的に証明された常識が、脱輪すると、これまれとこれからの世界のがらりと認識は変わるもんだよ>

 諏訪の頭の中には、遠い昔に受けた大学の一般教養のある授業で、不思議な高齢教授の言葉が浮かんだ。ほとんど全員にAの成績を出す楽単として人気だったが、ほとんどだれも出席しない授業でもあった。その原因は、彼の妄信的な性格にあったように思う。たびたび非科学的なことを口にする教授だったので、学界からは相手にされていなかった。著書も自費出版だったので、出版社からも相手にされていなかったのかもしれない。だが、諏訪にはどうしてか、その授業を聞いておく必要があるような気がしたのだった。

 「パラダイムシフト」ニュートン力学の時代とアインシュタインの量子力学の出現以来、世界は明らかに変わった。と諏訪は頭の中で、不思議な教授の授業で教わった言葉を置いた。

 「そういうことだ。世界のデバックが一個発見されたわけだ。だったら、アレもデバックの一種って考えるのは自然じゃねえか」

 「そうかもしれない」諏訪は否定したい気持ちになったけど、それを堪えた。否定できるだけの材料がないとき、こうして同調する癖が諏訪にはあった。

 「すべては不確実性の上に成り立っている。世界なんてペラペラのトランプのタワーみたいなもんだ」

 首都高のうねりに包まれていく。まるで東京という狂気に包まれていくようだった。

 カンナビノイドとブフォトキシンの化合物である「フロイト」によって、大和は、すっかり上機嫌に仕上がっている。窓を開いている。11月の爽やかな冷気が、車内に立ち込める。鋭い風が車内に入り込み、一瞬で車内の気温は低下する。

 それに合わせて音楽が聞こえづらくなったので、大和は「音量あげてくれ」と後ろから怒鳴っている。諏訪はなにも云わずに言われたとおりに音量を上げる。KOHHの『Living Legend』の音量がどんどん上がっていく。車内は、大音量に包まれている。まるで真夜中のクラブのようだった。

 高速道路の中で、爆音で音楽を流して窓をひらいたベンツのゲレンデをまさかじぶんが運転することになるなんて、高校時代の真面目に大学受験のために毎日絵を描いていたじぶんが知ったらどう思うと考えた。

 こんな状況でも、助手席ですやすや眠っているアズサの寝顔を見て、諏訪には信じられなかった。よく寝ていられるなと諏訪は呟く。うしろでは大和が騒いでいる。

 「生きてる、俺達!!死ぬ前にはRICH」

 うしろで、大和が大声で歌っている。諏訪は肩を落としてため息をつきながら運転する。「芝公園出口」の看板が目に入る。ウインカーを出して、出口から出ていく。

 

(続く)

いいなと思ったら応援しよう!