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わんにゃん自己分析【エッセイ】
───犬人間
と猫人間
これはとても感覚的な話なので、ひょっとすると一部の方には伝わらない感覚なのかもしれない。
そんな方は、「世の中には酔狂な人がいるんだなぁ」くらいの生暖かい目で見守りながらお読みください。
ぼくには、よく人と会うと、「こいつは猫っぽい」「あいつは犬っぽい」みたいなことを考える悪癖がある。
どうぶつが大好きなので、中でも犬と猫がトップクラスで好きだ。
ちなみに、そのソリューションとなっている犬種と猫種がそれぞれいる。
犬界の猫=ペキニーズと猫界の犬=ラグドールだ。
ぼくの夢は、この二匹を飼って、犬猫の種を超えた友愛を目撃する(まさに平和そのもの)なのだ。
ぼくには人間のことも時々、犬や猫のように見えてしまうときがある。
では、犬人間はどんなで、猫人間はどんなか。
見た目が、「ワシっぽい人」とか「コアラっぽい人」がいるみたいに、
「犬っぽい人」「猫っぽい人」と言っているわけではない。
それは顔とか外見の話ではなく、性格などを含む中身のはなしなのだ。
これは、犬との仲良くなり方と猫との仲良くなり方をそれぞれ考えるとすこしわかるようになってくる。
犬と猫とではなかよくなり方が異なる。
犬のように猫を扱っても、猫のように犬を扱っても仲良くなれない。仲良くなってくうちのどこかで、それぞれの「してほしくないこと」に抵触してしまって、拒絶の憂き目に遭うことになるかもしれない。
端的にいうと、猫は気まぐれで犬は裏切りに厳しいだ。
コミュニケーションの取り方において、猫は自由と自分のペースを好み、犬は約束と相手のペースを好む。
たとえば、猫となかよくなるためには、犬のように近づいてはダメだ。
猫は警戒心がとても強いので、よっぽどの場合じゃなければ初対面の人は警戒して近寄らないことを知っておいた方がいい。(個体差はあるが)
基本的に、猫は初対面の人になかなかこころを開かないと思った方がいい。
だから、呼んだり追っかけたりしてもだめだ。サッと離れて、ニャーニャー鳴きながらこちらの様子を警戒される。
では、どうすればいいか。
「いるのが自然」になって、向こうから近づいてくるまで待つ、である。
でも、近づいてきてもまだ自然体を装う必要がある。ニャーニャーいって来たらちょっとおもちゃで遊んであげる。でも基本スタンスは、「別に、お、おれおめぇに興味なんてないんだからな……」というふうに、中2男子みたいに無関心を装う。
すると、ひょっこりと近づいてきて、ぐるぐる喉を鳴らし、身体を擦り付けてくるタイミングが必ず来る。このタイミングで初めて撫で返す。いまだっ!すると仲良くなれる。このように、仲良しの決定的なラインがあるのが猫タイプのイメージだ。
だが、猫はきまぐれだ。
急に愛想よくしてくれる時と無愛想な時には差がある。だから、一度仲良くなったと思っても次に会ったときは少しそっけなくなっていることだってある。信頼値のゲージが、元通りになっているのだ。
一方、犬と仲良くするためには、接触回数を増やす必要がある。
猫とは逆に、こちらからイベントを仕掛けなけ続けなければいけない。
ご飯食べる、散歩に連れて行く、撫でる、ボールを投げるなど、犬が好きな遊びを、こっちから積極的に興味をチラつけて近づいていく。
ほらほらぁという感じで新しいイベントを次々にぶつけて、すると次第に仲良くなっている。なんというかグラデーションのように、日に日に仲良くなっていくのが犬タイプのイメージだ。
だが、犬は裏切りにきびしい。だから、日々の日課になっていたなにかをサボると信頼を損ねて、そっけなくなってしまうことがある。
こちらが、「今日は散歩疲れたからまた明日にして……」なんて言葉が通用しない。「約束したじゃないか!」と、犬は裏切りに対して厳しいのだ。
これは両者ともに、飼い主の立場に立った時の両者との仲良くなり方を主観的に書いたものである。
猫人間には、おそるおそる近づいてきたときには、できるだけ優しくテンション高く全力で相手をして、犬人間には、小さな約束の積み重ねを大切にする。
猫人間には「待ち」が重要で、犬人間には「継続」が重要だ。
これは、コミュニケーションの取り方のことである。
相手が、のびのびと気まぐれにかまってほしいときに近づくのを「待つ」のかが猫で、あるいは相手が、しっぽをパタパタ振って笑顔で近づいて来たら、どんなに忙しくてもそっけなくしてはなくしてはいけないのが犬だ。
猫と仲良くなろうとしても、犬のようにアプローチしてても噛み合わないし、
犬と仲良くなろうとしても、猫のようにアプローチしてても噛み合わない。
すごく感覚的な話なので、ついてこれているかどうかすこし不安なのだけど、話は少し展開する。
このように、ぼくは、まわりの人間を犬っぽいのか猫っぽいのか当てはめることがある。というか、ほぼ全員それを考えている。
たとえば、こいつは毛並みのいい上品な犬っぽいな。あいつは時々噛みつくから人をあんまり信じてない犬っぽいな。あいつはそろりそろり近づいて、気づくといないからひょろ長い猫っぽいな。あいつはボォんボォん吠える声のでかい陽気な犬っぽいな。あいつは人を疑うことを知らない育ちのいい犬っぽいな。
こんな風に、ぼくは、まわりにいる人間をびしばしと犬人間猫人間に当てはめひとりでたのしんでいるのだ。(悪趣味でごめんなさい)
じゃあ、ぼくは何人間なのか。
ぼくはたぶん、猫っぽい犬人間だと思う。つまり、ペキニーズである。
なんとなく気難しそうで近寄りがたい雰囲気を醸し出しているので一見すると猫なのだが、実態はただのバカでこころの尻尾をパタパタ振ってる犬という、なんとも紛らわしくも愛らしい存在なのだ。また、ペキニーズには極端にいじっぱりなところがある。一度、これをやると言ったらしばらくそればっかりに執着する。なのに、突然飽きて放置する。こんなきまぐれなところもいかにもぼくっぽい。(「エッセイ百式観音」は100本書くからな!)
ちなみに、ぼくのアイコンを描いてくれてるのほほんさんに、ペキニーズの絵は描いてほしいってお願いしたら、とてもかわいいペキニーズを描いてくれて、とてもうれしかったです。
なんで、ペキニーズかというと。
ペキニーズの中には、仲良くなりたいのに仲良くなれない「あいつ」が同居しているから。
そんな歪なふたりが同居しているからこそ、その間にいるペキニーズという存在が、際立つのだ。
ほっこり笑顔がすてきなペキニーズ。
ペキニーズの弛緩には、1000年続く戦争さえ終結へ向かわせるほどの癒しがある。
ロシアでもウクライナでも、ペキニーズを大量に送り込めばいいのだ。そしたら、戦争なんて終わってペキニーズはノーベル平和賞を受賞できる。
そんなメッセージが込められている。
ペキニーズは幸せの象徴だ。
ラグドールもね。
犬人間と猫人間で、平和な社会をつくろう!